6年ぶりの外語班・OBOG会

toyama

 外語班として2010年以来のOBOG会(昭43〜50卒)を10月15日(土)に開催しました。参加者は29名、前回より約10名増えました。その多くが初参加の49・50年卒ですが、その発端は、6年前、懇親総会のあとに催されたこの会への坂室儀文君(昭50)の偶然の飛込み参加でした。その後、彼が音頭を取って50年卒の会(全員参加でした!)が催されたこと、先輩OBOGの協力で名簿整備が進んだことなどが相まって、このたび、50年卒を幹事にこの会合の開催と相成ったものです。
 そういう状況ゆえに同期・先輩後輩と40年ぶりの再会を果たすこととなった人も少なからず居て、スタート前の受付から、「懐かしい!」「元気だった?」の挨拶・声掛けの飛び交う嬉しい空気一杯の場となりました。
 会場は新宿3丁目のレストラン、クルーズ・クルーズ。窓越しの視界に入るレトロな伊勢丹本店。この借景が会場の空気を昔にタイムスリップさせる一助になっているかも(?)と感じられました。
 藤原宗さん(昭43)の乾杯でスタート、進行役は坂室君。しばし食事・歓談のあと、各自持ち時間2分の自己紹介・近況報告タイムに移ります。
 個性豊かで軽妙なスピーチが続き、会場には笑いが絶えませんでしたが、ある人が「部員不足で存続が危ないからと頼まれ、名義貸しの入部だった。」と振り返ったときだけは、どの年次においても悩ましく困難な課題だった新人リクルートが出席者の記憶を呼び覚ましたのか、ほんの一瞬、会場が神妙な空気に覆われたような気がしました。
 歓談やスピーチのなかで最も良く上がった話題は、那須寮合宿と文化祭での英語劇の想い出でした。なかでも後者は、いまだに劇の役名で呼ばれている人が今回の出席者にもいるほど、私たちの記憶に刻まれ、語り続けられる外語班最大の行事であったことが改めて想い出されました。昭和40年代、外語班がとりわけ熱かった頃の部活・合宿の様子が活写、記録されたアルバムを染谷仁子さん(昭47)が持ってこられ、回覧に供されました。収録された部員の表情・しぐさには、いまだに役名で呼び続けられる人が居ても何の不思議もないと納得するほどの真剣みと熱気が宿っていました。
 思うに、外語班は部活とはいっても、運動部や一部の文化部のように競技とその勝ち負けを通じて部員全員が同じ体験を共有する場に、そもそも恵まれていない集団なのです。このハンディを補ってくれたのが毎年恒例の文化祭での英語劇だったわけですが、大先輩たちが外語班の伝統行事にしていかれた英語劇に込められた「巧み」を想いました。
 時間は矢のように過ぎ、いったんお開きとしたあと、話足りないOBOG20名は、藤田慎介さん(昭44)のお誘いで、44年卒の皆さんがパイラス世代から引き継いだという、戸山OBのためのクラブ「城北パイラスクラブ」になだれ込みました。レストランから徒歩2、3分の近さでした。パイラスクラブでは、カラオケをエンジョイする少数派をなかば無視して、大半の人はまだまだ尽きない想い出話や近況の雑談などに興じていましたが、そこでも時間はあっという間に経ち、夕方5時から始めたOBOG会は10時に近づき、ようやくお開きとなりました。
次回は未定ですが、引き続き昭50を幹事として、昭51以降の参加も促す企画で行いたいと考えています。

田代 晴俊 (昭50)

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