数学者志村五郎氏(旧制府立四中昭和22年卒)逝去のおしらせ

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 数学者志村五郎氏(旧制府立四中昭和22年卒)が,2019年5月3日、アメリカ合衆国ニュージャージー州プリンストンにて逝去されました。享年89歳でした。ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。

 志村氏は1952年東京大学理学部数学科を卒業後,東京大学,大阪大学を経て,1962年以来1999年までプリンストン大学で研究に従事されていました。専門は整数論,より詳しく言えば現在もっとも先進的に研究されている数学の一分野である,数論幾何学の基礎を築きその後の発展に大きな貢献を挙げられました。数学の世界ではまさに,巨星墜つ,の感があります。

 第二次世界大戦後疲弊した日本の学術界において,数学の新しい発展は当時の若手数学者達の活躍によって支えられました。彼らは「新数学人集団(SSS)」の名のもとに,各方面の数学の展開に貢献していきました。この主要メンバーの一人が志村氏でした。1955年9月に国際数学集団(IMU)の国際研究シンポジウム「代数的整数論に関する国際会議」が海外から10名の第一線の研究者が参加し,日光市で開催されました。この研究集会は日本の数学界に大きな影響を与えたのはもちろんですが,若手数学者,ひいては日本の数学,の飛躍の場となりました。このときの記録はホームページで見ることができます。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sugaku1947/7/4/7_4_193/_article/-char/ja/
数学の専門に関する記事なので決してわかりやすいものではありませんが,当時の熱気と高揚感を感じ取ることができます。この国際研究集会において,志村氏と谷山豊氏が,虚数乗法を持つ楕円曲線について発表をしています。この内容がすぐ後に谷山・志村予想,あるいは志村予想,として結実し,現在に至るまで大きな研究課題となっています。
志村氏自身もこの研究を深められ,志村多様体と呼ばれる概念を提出し大きな貢献をされています。

 20世紀の数学において,日本人の名前が冠せられた数学の概念や定理,理論は少なからずありますが,その中でも,谷山・志村予想と志村多様体は格別なものがあります。アンドリュー・ワイルズは1995年,谷山・志村予想を部分的にではありますが解決します。このことが有名になったのは,その結果350年来未解決であったフェルマーの最終定理が証明されたことによります。この話題については多くの解説書も出版されているのでご参照ください。志村氏の深い数学についても触れることができるでしょう。志村氏は多くの国際的な賞を受けていますが,日本でも朝日賞(1991年),藤原賞(1995年)を受賞されています。志村氏の業績からすれば当然の結果です。

 志村氏は数学以外にも中国古典や日本の陶芸等に造詣が深く著書もあります。ご家庭の環境やご自身の教養の深さ、ということでしょうが、私はここに旧制四中から戸山高校につながる伝統を感じます。志村氏は晩年,『数学をいかに使うか』,『数学の好きな人のために』,『数学で何が重要か』,『数学をいかに教えるか』の4部作を,いずれもちくま学芸文庫から上梓しています。これらは数学の周辺に関する著作なので受け止め方は各人各様でありましょうが,愛読者は数学関係者の外側に広がっています。
志村氏は,数学者の評価は数学で,とおっしゃることと思いますが,それだけの業績挙げられ,影響力を発揮し続けている巨人であることは確かです。合掌

城北会副会長 岡本和夫(昭41)