平瀬先生(旧教職員)がオペラ「仮面舞踏会」に出演(寄稿)

オペラ「仮面舞踏会」に出演するまで

                              平瀬 志富(旧教職員)

 浅草オペラが華やかだった頃のスターの一人田谷力三氏は、晩年上野池之端のマンションに住んでいた。松坂屋デパートの地下へ、ステーキ用の厚い肉を買いに行った様子などがテレビで放映されたこともある。彼が浅草で活躍していた頃の姿を私は見ていないが、晩年東武デパートでの独唱会や、不忍池に浮かべたベニスのゴンドラの上でイタリア民謡などを歌ったのは、直接見ている。当時彼は八十才を過ぎていて、往年の美声はやや輝きを失っていたが、高音は立派に出ていた。藤原義江氏の声は晩年まったく駄目になった。そこで私は、声は無理せずに訓練を続けていれば、八十代でも歌えるということを知った。

 平成十一年(一九九九年)文京区は、翌二〇〇〇年四月シビックセンターおよび大ホール(座席一八〇〇)の完成を記念して、区民参加による、ベートーベンの第九交響曲の演奏会を開催することを決定し、参加者を募集した。私はこれに応募して採用され、テナーのパートに所属することになった。練習は十月五日から翌年四月まで毎週火曜夜計二十五回行われた。途中寒さが厳しく、つらいこともあったが、幸い故障なく皆勤し、四月十六日の公演に参加することができた。第九の合唱のテナーパートは高いA(ラ)の音がひんぱんに出て来るので、最初は苦労したが次第に馴れて、一応出るようになった。八十代でも訓練次第で若い時より高い音が出ることを実感できた。公演はフルオーケストラと共演で、満足できる出来ばえとなった。これは文京テレビで放映された。

 昨年(二〇〇一年)七月、文京区はヴェルディ作曲のオペラ「仮面舞踏会」を翌年二月シビック大ホールで上演することを決定し、参加者を募集した。このオペラは「椿姫」「アイーダ」などと並ぶヴェルディ名作オペラの一つで、藤原歌劇団が上演したこともある。
 私はこれに応募して、合唱用のテナーパートを歌うことになった。七月十五日から毎週日曜夜二時間余の練習が始まった。「第九」の時も最終的には譜面を持たないで舞台へ出たが、オペラでは当然暗譜で演技しなければならない。しかも原語演奏なので、「第九」ではドイツ語、このオペラはイタリア語だったが、これも猛練習で歌えるようになった。
 「仮面舞踏会」はスエーデン王室であった実話が土台になっているということだが、グスタフ三世(リッカルド)が忠実な秘書レナートの妻アメーリアに熱烈な恋心を抱くことから始まる悲劇である。私は第一幕は王の親衛隊、第二幕は村人、第三幕では宮廷人の役で、華やかな宮廷の仮面舞踏会で歌ったり踊ったりしたが、ダンス歴三十年を生かして、楽しく演じ終えることができた。この公演も満足できる出来ばえでCATVの文京テレビで、三月十一日から三日間毎日二回計六回放映された。

 振り返って考えると、私が第九やオペラに参加できたのは、豊島師範時代外山国彦先生から歌唱法を、松本寛郎先生からはピアノの奏法と、音楽の基礎をしっかり指導していただいたおかげで、我が師の恩に感謝あるのみである。 



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