なお、月刊誌「正論」2010年12月号グラビア「私の写真館」のページに音楽評論家・指揮者 宇野功芳 が掲載されました。その一部を紹介します。
牧野周一を父として育つ。その父の部屋から流れてくるメロディを口ずさんでいた。4歳のころから童謡の会で歌い、府立四中進学と同時に合唱部に。3年生(昭和21年)のときの練習はベビーオルガン1台しかない音楽室で、声変わりしていない1年生をボーイソプラノやアルトにした混声合唱だった。男性だけの混声合唱は、日本では当時の四中が最初にして最後だろうという。上智大学に進学、わずか25日で退学、声楽とピアノに打ち込んだ。国立音楽大に入学したのは四中卒業して6年後。80歳になったいま「やりたいことは?」といわれたら、迷わず「合唱指導」と即答するとのこと。
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