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昭和29年卒 卒業60周年同期会(報告)

2014年(平成26年)10月24日 
ハイアットリージェンシー東京

 昭和29年に卒業してから、実に60年が経過した。60年といえば、私たちが卒業時に生まれた人が多くの職場で定年を迎えたことになる。

 入学時を思い起こすと、近くに米軍基地があり、焼け野原からの復興も未だしで、新宿の街まで視界を遮るビルもなく、学校は二部授業で始まり、施設も不十分で日本中が貧しかった時代だったが、これからの大学生、社会人に飛び込む前の期待と不安に溢れつつも、希望にも満ちていた青春だった。その後東京オリンピック、高度成長、バブル経済、一転してその崩壊、相次ぐ大天災と人災の絡んだ原発事故などなど、この60年は日本の戦後史が凝縮されている。

 同期生の中には日本成長の中枢で旗手を務めた人もいたが、卒業60年を経て好々爺・好々婆(?)となってハイアットリージェンシー東京スカイルームに集まったのは、65人。60周年だからと、一片の案内状だけでなく声かけ合ってこれだけ集まった。多いと見るか少ないと見るかは考え方にもよろうが、常任幹事的中心人物庄内正文君がまとめ上げた欠席者のコメント一覧を見ると、本人及び連れ合いの健康トラブルが大きいのは致し方ないか。

 堀口容一幹事の司会で、船曵孝彦幹事の開会挨拶で始まり、この一年で鬼籍に入った4人の冥福を祈り黙祷した。庄内幹事から深井奨学財団寄付への報告とお礼の後、井出正敬幹事の音頭で乾杯し、自由席で歓談と食事が始まった。
 手前味噌になるが、このところ恒例となってきた期日、会場を前年の同期会時に予約し、ビュッフェスタイルながら出席者より多めの椅子で着席できるようにし、卒業時のクラスごとのテーブルでなく自由席とし、席を移動しながら歓談できるようにしているのが成功し、随分いろいろな人と話し合えたと思う。

 堀口幹事の指名で、数人の自由スピーチがあったが、この年齢となるといつまで会を続けられるか、いつまでやるのかという話題が出てくる。418人の卒業生中結局は65人 16%が集まったのみというのは如何にも効率は悪い。しかし、逝去会員81人、不明会員65人を除き、案内を出した272人中連絡の取れた208人に限ってみれば、出席率は30%を超す。この年齢では十分意義ある数値と思われる。8クラス中毎年2クラスを幹事クラスとして回してきた方式があと2回で区切りが来る。その年は全員満80歳を超えていることになるので、少なくもそれまでは続けようや、というのが大方の意見で、取り敢えず来年はE組大矢晴彦君(城北会理事)、吉沢弘久君、F組米山嵩君、山田義彦君(カメラ)、樋口寿子君が幹事として引き継がれた。
 最後に石河初枝幹事の指揮で校歌斉唱し、小宮和夫幹事の閉会の辞でお開きとなった。昨年は二次会として1000円の会費で会場をそのまま使わせてもらい、盛況だったので、今年もその手筈をしてあったのだが、今回は8人しか残らなかった。幹事としては、一次会で十分コミュニケーションが取れたものと都合よく解釈している。
  幹事:C組 仙波、曽禰、小宮、船曵  D組 天野、石河、井出、堀口
                                       文責 船曳孝彦(昭29)
昭和29年卒 卒業60周年同期会
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