先生列傳(10)北野先生 戸山高校新聞 第17号 1951年6月12日
 「非凡なる健脚家」


1952年卒業アルバム

1956年卒業アルバム

 北野先生、名は梅太郎、埼玉の産、私はてつきりおくには京都辺りじやないかと思つていた。何故ならば、京都には北野神社というのがあつた、そこの梅花は古来極めて高名であるから。けれども先生の御両親が果してこの高名な梅にちなまれたのかどうかは、残念ながら聞きもらした。

 非常に結構なお名前である。いかにも生物学の先生らしい、分類の権威、牧野富太郎、細菌学の北里柴三郎そうして北野梅太郎、どこか似ているではないか。どこから「ネギ」などというあだ名が出てきたのだろう。不思議である。しかし先生は最初から生物学を志望された訳ではないのである。何をやったらよいか思案に余ったそうである。 数学か生物学かどっちかにすることになって結局生物学の方をやられることにしたそうである。 きっと若い頃は秀才だったと思う。どっちに進むか迷うというのは結局、不得意の学課がなかったということで、この逆は即ち、あの学課も駄目、これも見込なし、結局残る道は一つというやつである。余談になつたが先生はまた、非常な健脚家でもある。今でも忙しくさえなければ、山など歩き回りたいそうである。

 一体この学校の先生方は御自分の人生体験や何かについて余り多く語りたがらぬ傾向があってよろしくない。謙虚なのである。皆「平凡だから」「平凡だから」と逃げを打たれる。

 案外、こつちに信用がない故為かも知れないのだが。この例に洩れず北野先生も「余りにも平凡だから」とおつしやるのである。

 よろしい、それならば、先生について私が記憶する思い出を述べよう。私が中学二年の時だから今から五年前のことである それは生物の時間であつた。丁度人体、生理をやつていたらしく、血行、筋肉、骨格等を観察するため、等身大の人体模型が教室に運びこまれた。私達生徒が目を挙げてその方を見たとたん、その人体模型のちんぼこがふらふらゆれているのが眼に入つたのである。大体、こんなものが眼前に揺れていたのでは、授業も聴く方にとつて、少しく迷惑な話であろう。また授業をする方にとつても同断であろう。 先生もこれに気がつかれたらしく、生徒の間に動揺がおこらぬ中に、先生は浮かぬ顔で、素早くこれを取り外そうとなさつたのである。が、意地悪くそれは簡単にとれなかつた。先生は慌てた。私達生徒も驚いた。けれどもこんな場合、焦れば焦るほど、手もとは狂うのである。・・・・結局、もぎとるようにして取り外すことができたようだが私達生徒は息をつめて、この光景を見守つていたのであつた。

 もうしばらくして、この学校の生活にさよならするわたくしにとつて、このような思い出も大層懐しく感ぜられてならないのである。(O)

 北野梅太郎先生 生物 戸山高校在職 1928〜65


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