先生列傳(13)中村先生  戸山高校新聞 第20号 1951年12月24日
 「戸山ヶ原のソクラテス」

 

1960年発行先生列伝小冊子

1956年卒業アルバム

 実際学校なんてトコロテンの押出機械みたいなもんだ。すこしばかりこぼれようと押しつぶされようとおかまいなしだ。そして一カ月五百円で一定量の知識を販売する。英語の単語一つが八十銭だなんて少し狂った計算をしでかす奴も出て来る。そして形に仕上げられると鉛の兵隊みたいに大量に社会に吐き出される、すばらしきは二十世紀の文化である。資本主義の生産様式(見給えわれわれがいかに知識に毒されているかはすぐこんな言葉が出てくるのでも判るだろう)が忠実に守られている。

 だが読者諸君よ、英語の単語をおぼえて、数学の公式を全てそらんじようとも失恋した青年たちは死んで行くではないか。(こんな純情な人間はだんだん淘汰されているようだが。)功利的な処世術は会得できても、本当の人間にはなれない。そう考えると学校なんて(我々の学校はその雄たるものだが)ナンセンスなものだ。もっとも肝じんなものを教えない、いやそう言つたものをつかむための援助をもしないではないか。それどころか反つて妨害されるのが関の山だ。ほんとに我々は悲観する。中村先生も「自分が真の人生観、人間観を会得したのは学校や学校の先生たちからではない」とおつしやられた。

 先生は教師生活をしながらもそういう矛盾を自覚してをられる。そして「教育とは教師と生徒の人間的接触とお互の理解から出発すべきである」ことを知つておられ、かつそのために努力し、その努力と現実のギャップに真面目に苦しんでおられるたつた一人の先生だ。「たつた一人」とわれわれ戸山の生徒がいわねばならぬことは悲しいことだ。もしこれを訂正できたらまことにうれしいことにちがいない。さはさりながら中村先生のように良心的な先生を一人でも持ち得る私たちは幸な方だろう、他にもいらつしやればなお幸である。ソクラテスは古今東西を通じて最大の師であるという。私はいつも先生のお顔をみるとソクラテスを想い出すのだ。遠い昔アテネの市角で鼻緒の切れた下駄をぶら下げて床屋のおやじや魚屋の小僧を相手に「君がそういうんだよ」という名せりふを吐きちらしたソクラテス、どこか似ていませんか。中村先生が戸山一良心的で人間的な教師であるという体だろうと思われる。

 だが顔まで似ているかどうかは知りませんが。先生は相模湖の近く山紫水明の地でウブ声をおあげになったそうである、そして内面的に波乱の大きかつた学生時代を文理大の倫理科をもつて最後にして戦争に参加された、いわゆる学生出陣である。…この言葉を近頃は忘れかけているようだが実際は我々のすぐ目の前におかれていると思うと何かしら寒いものを感じざるを得ない…。そこで先生は相当大きな人生革命をなされたらしい。何しろ「きけわだつみの声」の一歩手前まで行つたのだから。……だからこそあんな哲学的な「人間を知ること」をその生活の目標とするような先生になられたのだろう。

 最後に、「先生は教師生活をどんなお気持でなさつていますか」とお訊ねしたら「いやな商売だね」と率直におつしやる、其理由は「未完成の人間だから人生に確信を持ち得ないから」とおつしやられた、そこでまた私はその良心的なことに感じ入つてしまつた、だが中村先生は無着先生ではない、何故ならば先生には無着先生のような情熱は感じられないから…ちよつと、いやとても淋しいがまあ欲張りすぎてはいけない、なにしろこんな訳である、そこで私はこう言いたい、こんな良心的な先生を一人でも持てる私たちは単語のしみで学校生活を終らないようにしたいものだと。それには先ず冬の休み位一、二年生はゆっくり休む必要がある。(F)

中村義之先生 社会 戸山高校在職 1949〜64


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