先生列傳(21)坂入先生 戸山高校新聞 第29号 1953年4月2日
 「飯より好きな数学」


1960年発行先生列伝小冊子

1956年卒業アルバム

 一見コワイ先生という感じを受けますが、事実はこれと全然違つて生徒に理解のある、面白い話せる先生なのです。ところで皆さん、先生のお年はいくつだと思いますか?エツ!五十だつて?とんでもない!あれでまだまだお若いのですよ。四十になるかならぬかという辺りです。そう思つて先生が授業をしておられる時の声を聞いて下さい。思い当たる点があるでしよう。柴田、佐藤、広瀬先生と同じ東京物理学校(現東京理科大学)の御出身。丁度戦争の最中に本校に来られました。

 「ガニハチ」とは随分奇妙なアダナだなと思つて先輩に由来を聞いて見ました。
「先生が本校に来られた当時、先生と同様の光頭族が二人…即ちガニ氏およびハチ氏…いました。この二つの名前をとつて“ガニハチ”という名が誕生したのです。そして時代の流れとともに次第に簡便化されて今ではガニさんで通つています。

 先生ぐらい卒業生に親しまれている先生もまずないでしよう。先生のどこがそうさせるのでしよう。自宅における先生は教師としての先生ではなく、教え子に「イツチャン」と呼ばれる先生なのです。丁度そこに来合わせた先輩連はさつそく「イツチャンに教わるなんて実に幸福だよ、今はそう思わなくても二、三年たてば必ずそう思うよ」と先輩顔して一クサリ。そういわれてコトコトコトと音をたてて机と机の間をまわり歩き、時々光線の具合でピカリピカリと光らせる先生を思いうかべていました。

 先生の趣味は何と聞くのは愚問です。専門の統計学および理数学の書物をはじめとしてカント、ヘーゲルから諸君の文学書に至るまで、あらゆる書物が狭い部屋一ぱいにおさまつています。これは誠に壮観でよくこれだけ揃えたものだと感心しました。これからみても先生が単なる勤勉家でないことが分るでしよう。先生は 「Inferiority complex を捨てて Speriority complex を持たなければならない。そして東大が我々の進むべき道のすべてではない」とおつしやつてから「しかし高校生活の最後の一年間は自分の望む道に進めるようにみつちり努力して勉強しなさい」と、とんだところでお説教を頂きました。

 最後に先生はあれでなかなか進歩的であるということをつけ加えて筆をおきましよう。(M)

坂入一郎先生 数学 戸山高校在職 1944〜85


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