先生列伝(25)藤野(工藤)先生 戸山高校新聞第33号 1953年11月14日
 「ルーズな事は大嫌い」


1960年発行 先生列伝小冊子

1956年卒業アルバム

戸山高校新聞 第33号

 山手線巣鴨駅から徒歩で約十五分、鉄筋の都営アパートのドアをノツクする。「いらつしやい道迷わなかつた?」と先生の笑顔に迎えられた。こじんまりとしたいかにも女だけの家族にふさわしい部屋に通された。柱には可愛いい鏡、窓辺にはミシン机が並べられその上には活花が優雅な趣をそえて、記者を歓迎していた。隣の部屋に妹さんお母さんを押し返して、先生は正面に座を占め、多少堅くなりながらもいろいろと記者の質問に答えて下さる。

 先ず現在の職業を選んだわけは、受験と云うものに直面した時、好きな事を続けたかつたからとのこと。小学校時代から体育は大好きで相当張り切つてやつたそうである。女学校四年で女高師体育科に入学、テニス、卓球、バレー等一通りなさつたがダンスは殊によく習得されたよし。その頃の体育科は音楽専攻と体育専攻と分れて居なかつたので、それが先生にとつては、何よりの魅力だつたそうである。大二次世界大戦の最中であつたので、動員作業に従事し落ちついた学園生活は二年中頃からで大分損をしたそうだが、女学校から女高師時代は女だけの生活でロマンチツクな味を満喫なさつた。中でも寮生活は一番楽しい想い出。その頃の先生のアルバムはダンスの場面、級友達と顔にリンゴをのせて撮つたと云う場面があつたりして、オチヤメで元気の良い女学生と云う感じ。一応順調に学生時代を終えられ、岩手県に家族が疎開していたので、東北地方に就職を希望したところ、山形の県庁に決り、体育指導者の指導にあたられた。

 そこで二年間程お勤めになつてのち本校にいらつしたのだが、何しろ多数の男性群に対する女性達の哀れさと、設備の悪いのは、目をみはつたそうである。最近は女子も次第に翼を伸ばし始めたがやはり数の上からも女性は被圧迫的存在で、本校に於ける男女共学は上手く行われていないと感じて居られるようである。しかし反面スムースに行われているのをみると女だけの生活で学生時代を送られた先生にとつては、全く羨しいと感じる事もあるそうだ。先生にとつては、毎日を延び延びとすごしている若々しい生徒の中にいると何か自分も進歩して行くような楽しい気持になつて教員生活は実に愉快なものらしい。生徒の噂も大分御存知の由。お話中先生から受ける印象は近代的知性で満されていると云うこと。「私はルーズになることが大嫌いですの。」

 「みんなも雨天体操場だつて欲しいでしようけど、私が今一番望んでいるのは、何よりも先ず更衣室の改良と、フオークダンスを多くの人に愉快な気持で踊つてもらいたいと云う事です。」と将来の抱負を語られる先生の目は何かをジツとみつめて居られる。その美しいまなざしは生き生きと輝いてはいるが何か人の心底を見抜く鋭さが感じられた。(鴒)写真は女学生時代の先生

藤野(旧姓工藤)和子先生 保健体育 戸山高校在職 1951〜67


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