先生列傳(27)藤塚先生  戸山高校新聞 第36号 1954年4月6日
「英語の般若」


1960年発行先生列伝小冊子

1956年卒業アルバム

 アダ名を「般若」といわれる。これだけ聞くと大変コワイ様だが本当はやさしい(但英語の時間以外のとき)。性質は温和ですぐ真赤になられる。あるH・Rの時間に先生の「生い立ち」を話された。先生は静岡県の産、大正四年生れ、青山学院文学部英語師範科を出られ府立第十二高等女学校(現北野高校)に教鞭をとり昭和二十一年本校に来られた。
 ところで先生の「生い立ち」の話どうしても青山時代より進まず真偽のほどはわからないが北野高校時代の生徒が奥様であるという噂が戸山雀の間にある。

 先生は大変几帳面で自分でなすべき事は常にきちんとなさる。掃除の時は前後に必ず出ていらつしやるので皆は大恐慌である。身だしなみもきちんとしているうえネクタイ等の趣味も仲々およろしい。先生の御性格と奥様の御助力がうかがわれる。物静かですべて英国風な感じがする反面固苦しさを感じないでもない。御専門は前にも述べたように英語学で先生にはぴつたりと合う仕事だと思う。但しである。こと英語となると話は別であつて何とはなしにコワイ。授業に一分のスキもない。「一年生にこの間無記名で僕の授業について感想を書かせたら全員コワイと書いていましたがね。」とのたもう。まさにその通りであろう。三年でさえコワイのだから。受持は我々の最も苦手とする英語である。最大の弱点を向うに握られている以上立合わずしてすでにこちらに七分の不利ありとみてよい。最初の時間から次々と生徒を指名していくあの多角的な正確な英語研究法には皆びつくりである。たいていの者は冷汗タラタラである。そのかわり英語の力はつく。こんな立派な先生に広い世界なのに会えて我々は十分感謝すべきであろう。

 だが一体先生のどこがコワイのだろう。そう具体的に聞かれると答に困る。実際、先生が大きな声を出されたのも聞いた事がないし、先生ほど親切丁寧に我々を教えてくれる先生は少い。それでいてボソボソした話しぶり、眼鏡の奥で時々ピカリと光る目、「これ位の単語はもう知つていなければだめですよ」という言葉、「そしてと・・・オボツカナイですね」というしめくくり、何となく重味を感じさせる。我々生徒どうしの間でも先生をアダ名で呼ぶことはまずない。いつも「藤塚サン」である。「僕はどうしても生徒を叱ることが出来ないんですよ」親切な先生でありながら何となくコワイ理由を強いて探せば案外こんな所にあるのかもしれない。時には大きな声で叱られた方がかえつて生徒のとつてはほつとするものだ。

 癖としては特別に何もないが時々鼻が悪いのかクスンといわす位、それから「オボツカナイ」の話でしばしば我々を悩ますのも癖かも知れない。アダ名の由来は初めはわからなかつたがたまたま非常に不機嫌になられた時によくわかつた。別に普段その様なお顔をしておられるのではない。仲々ハンサムである。

 種々勝手な事を述べてきたがともかく先生が戸山の英語の大黒柱であることに間違いない。

藤塚武雄先生 英語 戸山高校在職 1946〜66



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