先先生列傳(28)近藤先生  戸山高校新聞 第37号 1954年5月11日
 「北海道から台湾迄全国行脚」


1960年発行先生列伝小冊子

1957年卒業アルバム

 学校では大変柔和な優しい先生であるが、御家庭でも良きパパである様だ。信濃町に程近い先生のお宅を訪問したら、丁度一人つ子の坊ちやんのためにコイノボリを建てておられた。風通しの良い二階で大好きな煙草(但しアルコールの方は全然駄目との事)に火をつけながらボツリボツリと色々な事を話された。

 先生は大正八年二月十一日に今のお家でココの声をあげられ当年三十五歳、幼時は京城で過ごされたが、その後小、中と今のお家から通われた。それから柴田先生や広瀬先生と同じ物理学校に進まれ、卒業後更に台北帝大へと進まれた。現在の化学の方面に進まれた動機についてお伺いすると「中学時代に上級生に教えてもらつて以来、大いに興味をもつたからですね」と語られた。先生は初めから教育者になるつもりはなく、大学卒業後やはり化学関係の会社に務めておられたが、戦争の惨禍を見て終戦後傷めつけられた子供達の育成に務めたいと考えられ、四中が昭和二十三年に四高になるのと同時に赴任されて来た。

 御趣味は大変高尚で、一番好きなのは旅行で、北は北海道から南は台湾まで全国を歩き廻られたそうで、台北帝大へ行かれたのも実は旅行がしたかつたからだそうである。一番旅行されたのはやはり物理学校時代から台北帝大の頃で、無銭旅行に近い様な事も経験があるとのこと。

 しかし最近は学校や研究で忙しく、旅行する暇もないと言って淋しそうな顔をしておられた。

 その他写真、釣、映画がお好きで謡曲もおやりになると聞いたが、残念ながら聞せて頂だけなかつた。庭木いじりもお好きだそうで、成程広い庭一杯にバラの木が植えられていて、花盛りになると非常に素晴らしいそうである。

 現在の戸山高校生については「相当自由であるし、ある面においては理想的じやないかな。 学生の本分から外れている様な者がいるがこれはいけない。それから社会情勢を気にしすぎていて、学生生活を楽しむことを忘れている。余りに現実的すぎるからもつと理想をもたなくてはね」と語つておられたが、又受験勉強の事についても「今の受験ラッシユは良くないけれど、三年生は止むを得ないにせよ、一、二年生は高校生活を十分にエンジョイすべきだ。三年間受験の犠牲にする事は賛成出来ない」等と、総じてもつと学生生活を楽しんだ方が良いという様なうれしい事を言つておられた。先生自身も凡ゆるバンカラではないが、学生時代を明かるく楽しく過ごされたそうだ。戸山校生に望む事は皆が希望を抱いてほしい。そして学生のする事に先生方がとけ込んでその一員となり、手をとり合つて理想的な学園を作りたいという事だそうだ。一見理想主義者の様だが、仲々どうして実行第一の人らしい。

 穏やかな御性質は周知の事実だが、ヒューマニストである事も言葉の隅々に有々とうかがわれる。そして「国はもつと教育に力をいれるべきだ」という先生のお言葉には、非常な力が感じられる事であつた。(固象)

近藤美郎先生 化学 戸山高校在職 1948〜67



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