先生列傳(31)伊波先生 戸山高校新聞 第40号 1954年9月22日
 「欲しいグランドピアノ」


1960年発行先生列伝小冊子

1956年卒業アルバム


 授業が終り、大部分の教室が静かになつた頃、筆者は紙と鉛筆を片手に伊波先生を探して、いろいろと質問に答えて頂いた。順序として、先ず先生の生い立ちから伺う事にした。先生は初めは少しばかりテレていらしたが、過去の生活を思い浮べながら話して下さつた。昭和二年下谷の根岸に生れ、中学校は私立の日本中学校を卒業され、音楽の方へ進まれた動機は別になく中学の時に音楽の先生と相談の上お決めになつたそうだ。昭和十九年に今の芸大に入り、ピアノを専攻され、声楽の方も少しばかり中山悌一氏についたとの事、学校では滅多に歌われないが、その素晴しいノドも一度拝聴したいものだ。だが昭和二十四年の春に発病されて現在も気胸中なので大きな声は出せないと逃げられてしまつた。「健康の有難さをつくづく感じました。病気をすると好きな事も出来ないし、物事も消極的になるし、良い学校に入つた処で無意味ですからね。」としみじみといわれる。とにかく音楽好きの恵まれた家庭に育つたので、結局環境が先生を自然に音楽の方に進ませたに違いない。

 先生は「この辺で少し音楽学校の生活を紹介しましようか。僕の頃は在学中に終戦を迎えたので、下級生はなく僕達の天下でしたよ。」先生のことだから思う存分あばれたのだろう。授業は一週に二日だけ夫々専門のレツスンがありこれは一人の教師が三人の生徒を受け持ち、その他に理論等は合併のクラス授業があつて、一週に一日だけ午後に合唱もあつたとか。今の我々の生活と比べると誠に羨ましい点がある。だが察するところ理論の時間等は相当辛かつたに違いない。サボツタ事もあるのじやないかな?「現在は世田谷の畑の中の一軒家に両親と三人暮し。静かでいい所ですよ。来客は大歓迎。何?奥さまはつて?とんでもないまだ独身ですよ。そろそろ適齢期だから心配ですよ。」と正直なところを語られた。目下候補者探しに忙しいのだろう。趣味は見かけによらず機械いじりが大好きといいながら、定期入れの中から飛行機の写真を出して見せて下さる。音楽会は高いから滅多に行かないそうだ(無理もない)尚、先生はまだ音楽の勉強を続けていることを付け加えられた。

 今後の方針を伺うと「駄目ですよ。毎年人数が変つたり、級編成のために多い級と少ない級の差が大きくて。合唱という事になると男女の割合は全然違うし、混声合唱をしない訳にも行かないし、本当の合唱なんて根本的に不可能なんです。自由選択の欠陥ですね。その上高校で教える基準がないんですから、一寸計画なんて無理ですよ。」相当沢山の不満があるらしい。「御希望は?」の質問に対しては、声を大にして「先ず第一に三十九万円のグランドピアノが欲しいですよ。」だが九割まで諦めていられるらしい。しかし現在の様な音の出ないピアノじや一寸先生も気の毒な気がする。それから芸術方面に進む生徒に対して、もつと学校全体が大きな見方をして欲しいそうだ。

 当世大流行のジヤズについて伺うと、胸を一寸組まれて、「ジヤズかねえ。変な事いうと大変だからね。」と前置きされてから、「その本当の意味通りのジヤズはほんの少しだが、最近では軽音楽の類やアチラの流行歌を呼ぶらしく、あれは直接官能に訴える音楽だから、あんなに酔つていては駄目だね。もつとしつかりした伝統のある音楽をやるべきだね。但し時々気休めに歌うのなら僕も賛成ですがね。でも大体に於いてジヤズの好きな人は態度が脱線しているんじやないの?」先生も決してジヤズ嫌いではない様だ。

 最後に最も重大な問題として本校生徒に対する批判としては「ひややかですね。何事でもいざやるとなると真面目に、一生懸命にやるところは好きですよ。同じ屋根の下に生活しているのだから、もつともつとうちとけてもいいと思いますね。」と反省を求める様に仰言つた。成程、正に痛いところをつかれてしまった。とかくその様な言葉を聞きがちの我々は大いに反省すべきではないか??
 先生の御健康を祈りつつ筆を置く。(R?S)

伊波久雄先生 音楽 戸山高校在職 1948〜64



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