先生列伝(34)佐々木先生 戸山高校新聞 第44号 1955年4月6日
 「多血質の秋田美人
   だがそれが役に立つ?」


1960年発行先生列伝小冊子

1956年卒業アルバム


 「ボクの学校を出たのが昭和十六年。景気は悪かつたけれどとにかく職はあつたネ。そのせいもあつてか、たしかに昔も浪人はいたが皆のんびりしていたよ。今の浪人は本当に追いつめられた感じだもんネ。勿論社会問題だよ。根本的な改革が必要だな。何が……となると一寸困るが、とにかく学校制度の改革ばかりでは問題は解決しないよ。

 ボクは京大出。生れは秋田なんだ(道理デ色が……)。そう、ハタハタは名物だよ。淡白な魚でネ煮ても焼いても食えるんだ。シヨツツル鍋なんかうまいネ。残念ながら東京じや食べれない。

 戸山に来たのはたしか昭和二十一年。まだ原町に校舎があつた頃だ。ひどい世の中でネ「報道機関のスト」について教室で討論したりしたのを覚えているよ。

 バケツというのはその頃ついたらしい。ボクは三年位たつてから知つたんだけど初めは気を廻してネ、中味が空つぽでたたいてもロクな音もしないという意味だろうかとか……それならつけた人も相当なものだと思うんだが……或いは掃除の時のバケツのように学校をキレイにするのに必要だとでもいうことなのだろうかとかネ。結局先日命名者だという卒業生に会つて聞いたんだが(ソレ注目!)顔の形状がそんな感じだからということだそうだよ。

 戸山に来る前にいた学校では他のアダ名がついていたんだ……ダメダメ、ノーコメント。いう時期じやないよ。(シマツタ)まあ、他校の生徒にくらべて戸山の生徒はアダ名のつけ方がへただということはあるかも知れない。

 新聞部のコ門になつたのは最近だよ。戸山の新聞は、前にも言つたことがあるんだがとにかくある高さに達しているんだ。優秀だよ(コレカラダゼ新聞部サン)。しかしそのためにマンネリズムの傾向におちいつているということは言えるネ。それから記事の不正確校内事件に対するあまりに傍観者的な立場というような面もあるようだ。根本的には部の根のはり方がかたよつているんだよ。各クラスに部員がいるという所迄行かないと、本当に生徒全体を反映してものは出来ないんじやないかな。

 チコク取り締り?ウンあれも僕が生徒係りなんで、やつているけどネ僕自身大変ルーズな性格で(謹聴!)時間なんかも守れない方だし根気もない方なんだ。(取締りが三日坊主デアランコトヲ……)

 学生時代はずい分スポーツもやつたよ。水泳、テニス、ピンポン、スキー、スケート……だけど皆ある所迄行くとやめちやう。中途半端なんだよ。勿論これじやいけないと自分自身励ましてはいるんだけど、趣味も浅く広く。それが一般社会を教える上には役立つているといえばいえるんだが……

 色々自分自身振り返つてみて、高校時代に知識に貪欲であるということは必要だな。そのためには少し位利己的になるのも良いと思うネ。予備校的?戸山が?ウーン君はどう思う(ズルイツ!)たしかに生徒が利己的だという意味では、予備校的という言葉だあたるかもしれない。だけど決して戸山は予備校じやないよ。予備校的というのが、勉強のはげしさに対する悲鳴の場合もあるんじやないかな……

 とにかく授業中には授業にてつていするという態度は必要だと思うネ
 さて、もう大分おそくなつたようだな。帰る道わかるかい?」

佐々木勘次郎先生 社会 戸山高校在職 1946〜62



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