先生列伝(37)田崎先生  戸山高校新聞 第47号 1955年9月22日
「身についた象タイプ」


1956年卒業アルバム

1966年卒業アルバム


 一八年四月戸山の前身旧四中にこられた田崎先生は東大国文科卒業後教員生活二十年の経歴をお持ちになる。教科書をまず生徒に出席番号順に読ませもう一度自分で通してお読みになつてから内容の説明にとりかかる。時には他の先生は絶対に持ってこないような教師用参考書を持ち出して「これに従つて説明していこう」左手に本を持ち右手を口にやつたりバンドにもつていつたりしながら名講義をして下さる。

「小学校時代の思い出は?」「そうだなあ、そうそう一年生の一学期の通信簿が面白かつたんだ。甲は読み方だけで後は全部乙だつた。阪本小学校といつてね。谷崎潤一郎や先代の市川左団次の卒業した学校だ」
「島田先生と高校時代お友達だつたそうですね」「ウンそうだ、寮で隣同志だつた。だけど島田先生と高校時代について誰にもしやべらんように契約しているんだ。これ以上もう何も聞いちやいかんぞ!話さないからハツハツハツ」うれしそうに特徴のある笑い方をなさる。

「こないだ古川柳研究の仲間として新聞に載つていたようですが御趣味は?」「いやあどうもあんなの見なくてもいいのに・・別に川柳を研究してるんじやないんだ。兄の友達が川柳の大家でね。その連中と単にのみ仲間であるだけだ。趣味といつても・・。見るものは好きだね。歌舞伎でも映画でも、しかしひまがなくてね。スポーツもいいね。だけどするのはどうも苦手で」

 タバコはピースの値段が急に高くなつた一二年きつぱりやめられたそうだ。しかし酒の方はやめる意志はあつても仲々やめられないものらしい。

「先生のニツクネームは?」「この名前をつけた奴にも感心させられるんだよ。戦争中生徒の中からいつの間にかこんな名をつけられたんだ。当時はずつとやせてたからこんな名がついたのは不思議なんだ。名をつけた奴は終戦後今の様に急にふとることをきつと悟つていたんだろう」“象さん”確かにスタイルも歩き方も性質もピツタリとしたニツクネームで生徒でも田崎先生より“象さん”の方が通つているようである。

「戸山高校生について」「四中時代の生徒とは違うようだな。みんな気負つたところもなくなつたしみんななかなかのんびり楽しそうにやつているなあ」「先生の御抱負は?」「別にないさ。ただもつと本を沢山読みたいと思つていることと今後戦争の無いことを願つているんだ。

 どうも僕の考えは古いらしいな。生徒にまかせていろんな仕事をやらせるのがどうも心配でたまらない。」とおつしやる。先生は矢張り戦前派なのである。

田崎治泰先生 国語 戸山高校在職 1943〜67



連絡・お問い合わせは城北会事務局へどうぞ。e-mail:johoku@toyamaob.org