先生列伝(43)小嶋先生 戸山高校新聞 第53号 1956年6月22日
 「戸山一のヌーボー 内に祕めた情熱と信念」


1954年卒業アルバム

1957年卒業アルバム


 
コジマ先生なんて知らない人が多いに違いない。教科は地学という凡そ面白くない学科でしかも専攻は鉱物学である。仇名はテリヤ、又はドンガメという。その授業については定評がある。「地学はいいよ。聞かなくてすむからな」という定評だ。

 大正十一年十月、千葉県に生る。当年とつて満三四歳。四人姉弟の中の男一人で、御父君は大佐だつたそうだが、先生は幼時から学者志望。21年北大卒業、26年本校にいらした。御結婚はその二年前、もちろん見合ではありません。先生の性格はやはり学者くさい。趣味らしきものには映画も音楽も銀ブラも興味なし(奥さんから苦情が出ませんかと聞いたら奥さんもやはり学者ですといわれてギヤフン)煙草はのむが酒はだめ。写真をとるのも学術的必要からという。まことに頭の下がるような話である。別に大学教授になるつもりもないが、向うから頼んで来ればなるそうだ。先生としては現在の教師としての立場と学者としての意欲とのへだたりに後ろめたさを感じて居られるのかも知れない。

 不器用さは戸山一、手品なんか一ペンでタネがばれてしまう。勝負事もからきしだめ。おまけに注意力散漫だから、元2HのO君などは遠足の度毎に先生のネコロガツタ所だとか菓子を口に入れる図だとか沢山の傑作スナツプをものしている。しかしながら体はとても頑健、どんな強行軍にだつてヘバラない。要するに精神は都会人体は田舎ツペエなのである。

 戸山の生徒に関しての意見は「とにかく皆非常に真面目だね。しかし個性に乏しい。皆同じ性格で将来は優秀な官僚になるだろう」と仲々辛ラツ。北大出の先生には今の戸山の高校生活があわれに見えて仕方がないことだろう。それかあらぬか、先般の修学旅行の一夜A組にストームをかけんとしたH組の連中に対しニヤニヤ笑つて「フスマを破るなよ」とだけしか云わず、少しも止めるそぶりをしなかつたのには住田委員長を始め全員感激した。

 こんなわけで学者とはいえ優等生ぞろいの戸山の先生の中では多分に野人的である。身だしなみも悪い。先生が髪をキチンと分けて背広も替えてくると、それがきつとPTAの日なので教室中から口笛と咳払いが起きたものだつた。ついでながら仇名を解説しよう。テリアというのは始終クンクンという音がのどから出るからである。これは子供の時からだそうな。自分でも気がついては居られるという。もうひとつのドンガメというのは首をすくめるからでそのすくめ方がカメにそつくりだというわけである。もつとも先生は「そうか、首をすくめるクセがあるのかな」と憮然とした面持ちであつた。しかし仇名などには一向無頓着なのが先生の良い所だ。

 先生のお宅は中央線国立駅から十五分位の所、高台の上の十坪位の小屋(断じてコヤと読むのではなくシヨウオクですぞ)の新築だ。机の脇の本棚には学術書と共に小説が並べてある。読書はお好きらしい。太陽の季節は未だ読んでないといわれるが「あれに描かれている高校生達は決してすべての高校生を代表していないのはもちろんだが異常さの程度は戸山高校生だつて同じ位さ」と痛烈に戸山の予備校化を批判される。

 さて始めにも書いたが地学の授業は面白くない。第一解りやしない。しかしこれはコジマさんのせいではない。何でもそうだが、授業を通じて教師が好きになることは滅多にないものだ。もし教室だけでしか教師に接することなくその人間性に触れ得なかつたとしたらその損失は三角法の公式全部位になつてかえられないだろう。願わくば、すべての戸山高校生にこの若き学者の信念と情熱に接して規格加工された人間共にならぬようにてもらいたいと思う。

 先生の御研究の一日も早く成らんことを祈つてペンを措く。 両

小嶋公長先生 地学 戸山高校在職 1951〜83



連絡・お問い合わせは城北会事務局へどうぞ。e-mail:johoku@toyamaob.org