先生列伝(45)小林先生 戸山高校新聞 第55号 1956年11月13日
  「人間先生」

  
1956年卒業アルバム

1957年卒業アルバム


 『でくの坊とよばれ、いつもにこにこ笑つている』そんな先生のイメージを浮べながら入つていつた。人の良さをまるだしにした先生は、あの子供のような無限のまなこで迎えて下さつた。

 まず先生の一声は「書は芸術であり僕の信念は、自分自身の作品を作り出すことと書教育の確立の二点が目標である。??」ときつぱりといわれる目は輝いている。早くから両親を失い苦労して成長されたそうである。が実に若さにあふれているのに驚ろく。先生は語られる「六年の間、戸山の生徒を人間形成のための書教育という点でひつぱつてみたんだよ。始め生徒は、驚ろくほど貧困なんだね。しかし次第にその良質をのばし一年ないし二年の間に実に驚ろくほどの成長を見せるんだね。そこに僕のめざす書の意義を感じてたまらなく嬉しいね」こういわれる先生の顔は紅潮している。

 そんな先生の授業ぶりは、本当に熱意にあふれている。書教育のみならず人格完成を目標とする教育である。先生は、自分というものをはつきり打ち出し、みじんの妥協も許さない。しかも生徒一人一人を良く見、理解して決して教師というミノを着ないで接して下さる「書はわからないが、良い先生だ。」と言う生徒の言葉もうなずける。教壇に立つ先生の顔を横から見ると、割合彫が深くたくましく見え、何だか大きく感じられる。先生が話す時の目の輝きのある鋭どさは、何だか恐ろしいくらいにせまる力を持つている。自分を信じている人間の心のあらわれだろうか。先生にとつては、善いことは善いのである。自分の授業態度に対する生徒の反響が必ずあると信じておられる。先生は、かめばかむ程味の出るスルメ教師である。書なんてという生徒が、実は大きな成長を知らぬ間にとげているのである。しかし、そんな態度を示す生徒が次第に、先生に近ずいていくのは、氏の人間性によるのだろう。

 また、絶えず先生は、性格的に生きかつ人間完成のために努力しておられる。「僕は、書を従来の伝統を真向から打破り自分で考え自分の仕事をするように努力している。でもやつているうちに長短が出てしまう。そこで僕は伝統を重んずる謡と仕舞をやつている。これも自分を完全にのばしてみたいからだ」といわれる。個性的なものを総て否定しきつた謡、仕舞は、先生の方向に反するごとく見えるが、決してそうではない。それのもつ動きの集約の中に書と相通ずる点が多いのである。

 先生は、生徒のどんな意見でも重んずる。そして真剣に話しあう。「僕は人間の良さを信じて生きて行く」といわれる先生のそんな態度が、生徒に対しても自然に出て、あの人間味にあふれた人なつこさとなつておりその授業態度のあたたかい人間性にあふれている点にもうかがえる。先生は静かに立たれた。何ともいえない大きさと幅を持つた人間のように思われた。

小林秀雄先生 書道 戸山高校在職 1951〜69



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