先生列伝(48)牧野先生  戸山高校新聞 第59号 1957年7月1日
 「革新的?な考えの持主」


新聞59号

1960年発行先生列伝小冊子


◇マキノ先生なんて知らないな。といわれる人が多いことだろうが、今年四月に日本橋高校から来られて数学を教えておられる先生である。

◇来て早々、二年のあるクラスで「この学校の生徒は自分で勉強するそうだから僕は何もしなくてすむね」といつて、一題一題問題をあて「はい、これでいいですね。つぎ」と消してしまい、クラス一同を唖然たらしめたものだつた。だからなまけている御仁にはわからない。試験をすれば、能力と授業中の態度がわかる大変便利なしかけになつているのである。

◇先生は、福井県で生まれ、四高、東北大と進まれた。東北大では二年先輩に岩崎先生がおられたというからお年を計算すると五十に近いことになる。とてもそんなには見えない。せいせい四十そこそこである(もつともそれにしてはしわが多いと思つていたが・・)お住まいは杉並で奥さんとお嬢さんの三人暮し。
「ちようど君等位の年頃でね」とうれしそうな顔をされた。

◇趣味は?「趣味らしきものはないが、スポーツは手あたりしだいにやりましたよ。しかし高校時代、二学期、三学期夢中で勉強しなければならない破目に落入つてウインタースポーツはやらなかつた。それが大学を卒業すると山奥の十日町中学にまわされ、スキーの監督をたのまれたので、できませんというと、できなくてもいいという。仕方がないから後について行つた。しかし生徒はどんどん先に行つてしまうし、あの時は本当に弱つたね」と若かりし頃の思い出を淡々と語られる。「教師になつた動機ですか、他にとりえがなかつたこともありますが父が教師だつたことも大いに関係していますね」というから、ケセラセラの過去形でなるようになつたといつたところらしい。

◇この学校の生徒については大変礼儀正しくておとなしいと評される。少しものたりなく感じて活気がないということですかと問うと、そうではなくて「運動場があることが関係しているのでしようね。運動場がないと教室で運動するから机も椅子もめちやめちやになつてしまう」とのこと。

◇最近の学生と昔の学生の違いは?「やはり軍国主義の時代と民主主義の時代とに生まれた相違だろうね。これも十日町中学校にいた時の話ですが、授業中に笑い声一つおこらない。あとで聞いた所によると、笑うと職員室に呼びだされてなぐられるとのことだつた。そんな時代だつたから先生の命令は絶対で教えやすい。けれど行儀よくするだけでは頭に入らないね。その点今の生徒はいいよ。しかし最近の生徒と先生との親密さが欠けているようだ。生徒が近づいてこないのだね。君等から見ると逆のことがいえるのだろうが・・。お互いにそうなんだ。どちらかが積極的にならなければだめだよ。運動などをさそえば、快くやつて下さる先生方が多いのではないのかな。先生と生徒のスポーツの対抗戦もいいね。たとえば今行われているクラスマッチの優勝クラスなどと・・。でも男子はだめだ。かなわないから」と、ともすれば知識の切り売りになりがちな先生と生徒の間の問題について自分なりの考えを持つていられるたいへん革新的?な先生である。しかし一方、共学については「昔は男女おのおのが到達する目的が違うと考えられていたから女学校では数学はわかるように教えられては困るといつたものだ。共学も女子が男子についていければよいのですがね・・。特に数学では・・」と女子生徒の気にさわるようなこともいわれる。

◇ 「本校生に望みたいことは自分の将来に向つて進めるような方向に頭を使つて、横道
に進まない方がよいでしよう。自分の進む道によつて学問の必要性も違つてくるのだから」
     
                   ◇

◇先生はいつもニコニコしておられて、授業もわからなければいつでも補習をして下さるといつている。まことに親しみやすい先生である。おそらくは僕等の良き相談相手となつてくれることだろう。                         (辰)

牧野 常雄 先生 数学 戸山高校在職 1957〜84



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