先生列伝(61) 岩崎先生 戸山高校新聞 第95号 1963年2月4日
 「正しい意味での自由な気持を」


1964年卒業アルバム

1967年卒業アルバム

 先生は東海道を下った浜松の近くにある袋井市でお生まれになった。小学校へは着物姿にワラゾウリといういでたちで通われた。この頃に初めて皮の靴を買ってもらったうれしさに、着物からにょっきり出た足にその皮靴をはいて通われたこともあるそうだ。「今思うと奇妙な恰好ですがね」と先生は昔を思い出して笑われた。

 中学校は掛川中(現在は掛川西高)。片道六キロメートルもあるのに五年間も歩いて通われた。現在では三キロメートルもない道すらバスを利用するので想像もできないことだ。「朝が早くて大変ではありませんでしたか」と驚く記者に先生は「ええ毎朝寝坊をしては遅刻をしないように四キロメートルくらいは走ったものです」と答えられた。

面白い解法の数学
 先生が教師になられた動機は、数学をやるようになった動機でもあるとのこと。中学三年の時、寮にいた先生の友人の話の中に、舎監の先生が「岩崎の答案は決して良くないが、いつもおもしろい考え方でやっている」と言っていた、とあったのが岩崎先生を励ましたらしい。「それが自信となって……。後で誤っていたことがわかったんですが」と先生は笑われた。

 これまでの教師生活の思い出を尋ねると、始めて教師をやった広島の糸崎鉄道学校の時が一番思い出多かったと答えられた。そのころ毎年先生と生徒の対抗陸上競技があり、そこで大活躍をされたそうである。また柔道の寒げいこのときのこと、「生徒を紅白に分けて対抗戦をやったんですが、その大将同志の決戦の際、投げられてさかさまに落ち、下半身が回転しながら落ちたんです。首の筋がねじ曲がって、その生徒は死んでしまいました。それからは柔道はやめました」ストーブがあっても寒気のするお話である。ところでストーブといえば我々は戸山の冷房設備に閉口しているところだが、先生もそのことを言われた。戸山に来た時にまず電灯とストーブがないことが意外に思われたそうである。「電灯は年度内に設置される予定ですが、暖房も早くしてあげたいです」と力をこめて言われた。というのは、先生には高校一年のお嬢様がおられ、もし戸山のように寒い所で勉強していたらと考えられたからである。それだけに寒さに震える我々の気持がおわかりになるのであろう。

予習よくやる戸山生
 昔の先生のご趣味は、陸上競技であったが、今は見ることだけだそうだ。「特技かどうか知りませんが」と先生は楽しそうに続けられた。「陸上、水上など、だれがいつ、どこで、どんな記録を出したかということが自然に頭に入ってしまうんですよ。寝むれないときはその記録のことを考えているといつの間にか寝られるんです」そしてまた「自動車を運転することも一つの楽しみですね」とつけ加えられた。

 クラブ活動の必要性を先生は強調される。「勉強時間に多く時間をとられ、人間形成の時間がないから、積極的にクラブに参加するべきだと思います。要は両立するかしないかっていうことですよ。それはクラブ活動をどの程度深くやるかということで、あまり没入しすぎるのは現実論としてまずい。勉強のことも考え、各自が判断し参加の度合を決めるんですね」

 ところで記者は戸山生(一部分かも知れないが)の切実なる願いがよく分るつもりである。そこで先生にお尋ねした。「数学に強くなるには?」と。先生は即座に言われた。「自信を失いすぎることが最も悪い。数学が好きとか嫌いとかは後天的なものです。努力することです」戸山生諸君、大いに努力されたし。

 「戸山生は生活態度がきちんとしていますね。たとえば予習ですが実によくやっています。しかしその反対の方向も必要ですね。ということはもっと明かるい表情が欲しいです。茶目っ気も少しはあっていいと思いますよ。正しい意味での自由でありたいですね」これはわれわれの希望でもある。

岩崎実先生 教頭、数学 戸山高校在職 1962〜67



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