先生列伝(63)園山先生 戸山高校新聞 第99号 1963年9月3日
「旺盛な開拓者精神」


1967年卒業アルバム

1971年卒業アルバム

 園山先生と言っても二、三年生は知らない人が多いだろう。今年の四月、島根県立松江高校から本校へ転任してこられた地理の先生である。

 先生の印象を一口で言えば“温和で気さくな青年教師”といったところだろう。列伝のインタビューの間中終始にこやかな笑顔で語られた様子からは、教師というよりも学生という感じを受けた。先生の持つ新鮮な若々しさが、私たちにそうアピールするのだろう。「開拓者精神旺盛というのでしょうか、人のやらないことをやりたがる性」と先生自身の語られる、こんな性質が先生の若々しさを保っているのかも知れない。

 その“開拓者精神”でもって故郷の島根県から遠く離れた東北大学へ進まれたのが昭和二十七年のこと。専攻は社会心理学「大学時代はずいぶんと種々なことをやりました」とおっしゃる先生は専門外にも多くの資格や技術を持っておられる。現在教えておられる地理も大学時代に聴講で学ばれた。そうだこんなところにも先生の“フロンティアスピリット”が伺われる。ところで先生は高校時代にちょっとした特殊な体験をもっておられる。先生の高校時代はちょうど戦後の混乱期であった。社会道徳や風紀の面でも非常に乱れた時代のおり、当時飲食店を営んでいた先生のお宅では毎夜十二時近くまで騒々しく、風紀の乱れをより身近に感じなければならなかった。感じやすい年頃だった先生はこのことで大いに心を悩ました。このような環境から抜け出すために外を出歩き、悪友や女の子たちと交際し一時は生活が非常に乱れたそうだ。このためにクラスでトップ争いをしていた先生も、次第に成績が落ち、「成績表なんかで人間の価値がわかるものか」と言い成績表を受け取らなかったり、勉強ばかりしている友人達を“点取り虫”と軽蔑したりして、大いに反抗してみたりしたのだった。当時のことを思い出されながら静かに語られる先生を見ていると先生にそんなに乱れた青年時代があったとは信じがたい気がする。もちろん先生の高校生活がすべてこんな状態であったわけではない。これはほんの一時的な現象で先生はまもなく元のまじめな学生に戻られたことは言うまでもない。

 「戸山のクラブ活動は余り活発とは言えませんね。運動部は対外試合の時などもっと代表意識、母校愛というものをもってほしいですね。文化部の方も学校新聞をもっと利用し、新聞が各班の中心になるようにした方が良いのではないですか」となかなか手きびしい。

 最後に先生の教育方針、信条について伺ってみた。「経験が浅いのでまだはっきりはしていません。しかし今は何でもやってみて、失敗したら又やり直す。Try and error の段階です」この先生の言葉には、強いファイトが感じられた。

園山繁義先生 地理 戸山高校在職 1963〜83



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