先生列伝(64)服部先生 戸山高校新聞 第101号 1963年12月4日
 「夢は世界一周」


1964年卒業アルバム

1965卒業アルバム

 一見恐れるに足りる感じ。だが話してみるとその笑顔はまさに満面にあふれいたって温和な口調で、あくまで人間性の面から生徒に接してくれる。心安く相談できる先生のひとりである。それは十一年間おられた明正高校でも定評があるらしい。「僕は性質は弱いと思ってますよ」と言われて「しかしどうしてもこれだけは妥協できないという事が十年に一回程ありますね。そのときはワイフだろうが誰だろうが意地を張りとおします」十年に一回位か。推測するに現在三十八才だから三〜四回……そのスケールの大きさに先生の広さが感じられる。

 小さい頃から海に憧れていた先生は、六中を卒業されるとき東京商船高校が念頭にあったそうだ。しかし友人につられて結局東京高校に入学され東京帝大に進まれた。「無理だろうと思うものを消していったら、残ったのは経済学部。そんなに情熱を持ってはいったんじゃありませんよ」と謙遜(そん)されるが海運業に携わることが頭にあった先生としてはしごく当然。先生という職業はなることがないだろうと思っていた職業のうちのひとつだそうだ。事実、大学を卒業すると船会社に四年間勤められた。なんと就職試験は免除されたそうだ。「しかしやはり刺激が無くてつまらなかったなあ。上役からはかわいがられたが人間は常に鍛えられるのが本当ですよ。その点有名校にはいろうとするのは大いに結構です。良い友人、先生が得られるし、自分の弱さを発見させてくれますよ。ただ競争を意識しすぎて人間が狭くなるのを恐れますが。のんびりと構えて野性味を持ってもらいたいですねえ。第二学区の生徒に共通して言えることはそれらに乏しいことですよ」

 そういえば先生はノンビリヤである。講義の合い間に腕組みをしてしばしグッとクウを見つめる。何を考えてるんだろうと気にしているとおもむろに口を開いて世間話なるものを始める。授業のテンポもノンビリ。先生の地理はどの辺まで進まれるんでしょうかと尋ねるとまあ半分だろうなあとおっしゃる。先生の授業のやり方は恩師に負うところが多いそうだ。「僕は幼稚園から大学まで先生運が良かったんですね。試験のことしか考えない頭デッカチはダメだと五、六回雷を落とされました。しかし人間の価値を測る基準が何であるか教えられましたよ。高校、大学ではむしろ上級生、友人の感化が大でした。ぼくは純情でしたから上級生が真剣になって本を読んでいる姿を見て感心しましたねえ。授業が第一番というんじゃないんですね。本を読みすぎて落第というのもいて、その人たちは尊敬されていました。そんな風なゆったりした気分があってもいいんじゃないかなあ」

 「えっ、子供ですか」と御自分まで童顔になられた。裕子ちゃんは最近生まれたばかりである。中学生になるまではテレビを見せたくないと言われる先生はコマーシャリズムを批判され、子供には静かな環境でじっくり名作を読ませたいそうだ。先生の趣味は旅行につきる。ただし金と暇さえあればだそうだ。それでもまだ行ってないのは山陰と南九州だけとのこと。しかしなんといってもやりたいのは世界一周だそうで、そのときはリュックを背負い、地図を作りながら民家に泊めてもらって……とつきない。「語学の勉強をまたやり始めているんですが、暗記がねえ」と言われる。それからひとつ付け加えておこう。「ぼくのアダ名がポリバケツですか。もう少しユニークなのを願いたいですねえ」

服部良太先生 社会 戸山高校在職 1963〜65



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