先生列伝(74)小野先生 戸山高校新聞 第205号 1984年3月1日
 「高校時代は部活に熱中 エネルギッシュな九州男児」


1983年卒業アルバム

1971年卒業アルバム

 今回の先生列伝は一年A組担任で数学科の小野忠後先生です。

 先生は佐賀県福富のご出身で、ちょうど学制改革の後、新制福富中学校に入学されました。中学・高校を通じてバレーボール部に所属し、「バレーボールに熱中して、勉強はあまりしていなかった」そうです。生徒会活動のご経験もお持ちで、新憲法に基づく生徒の自治活動が認められるようになったばかりの頃、福富中学校初代生徒会長になられました。当時の授業は「民主主義」という教科書があったほど、新憲法が重視されていたそうです。その頃のことを伺ってみると、「民主主義を肌で感じられる時代だったからその点では幸せだった。生徒の中に“自分達が学校をつくり上げていくんだ”という意欲があふれていて活気があったし、先生と生徒が一体になっていたよ」とおっしゃっていました。

 学生時代の夢は「大きな船を造ること」だったそうです。世間で造船がもてはやされた頃のことでしたが、「望みがかなわず」高校卒業後、東京理科大の数学科に進まれました。「小学校の頃から先生にうるさがられる位質問に行くほど好きだったので」数学を選ばれたそうです。戸山を知ったのは教育実習に来られたのがきっかけで、世田谷工業高校で二年半教えられた後、戸山にいらっしゃいました。以来二十三年間戸山で教鞭をとっておられます。

 先生が赴任された頃の戸山生について伺ってみると「先輩の先生に『生徒はみんな知っているよ。でも間違って理解している所があるかもしれない。それを直すのが教師の役割だ』と言われたほど当時の生徒は予習を完璧にしてきた。授業に対して受身でなく、教科そのものに真剣に取り組んでいて、自主学習会も積極的にやっていた。友達と競い合うことで一人で勉強するより力がつく。それから、クラブ活動も少ない時間を効率的に使って頑張っていた。バレーボール部は都大会で優勝したこともあった」とおっしゃっていました。

 今の戸山生については「できる生徒が多いのに、力を出しきっていないのが残念だ。学生時代の経験はその後の人生にとてもプラスになるから、戸山生には勉強をし、かつプラスアルファの部分を持ってほしいと思う。自分の夢は大きな船を造ることだったが、戸山で船よりも大きな生徒達が大洋へこぎ出していくのを見て、教師になって良かったと思っている」とのことでした。普段から生徒の自主性を尊重している小野先生、その眼差しに戸山生への愛情が感じられました。
                                 (黄色い方眼紙)

小野忠後 先生 数学 戸山高校在職 1960〜84



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