先生列伝(77)設楽 武志 先生 戸山高校新聞 第208号 1984年9月21日
少年時代は波乱万丈 今の戸山生は「素直」


1980年卒業アルバム

1987年卒業アルバム

「逃れられたと思ったのに」というお言葉を初っ端から頂戴してしまいました。全く取材から逃げ腰の設楽先生をつかまえ、やっと時間を割いて頂けた、ある土曜日。この日、三年A組の映画に出演なさるという先生は、昭和八年、埼玉県森林公園近くの緑に囲まれた環境の中にお生まれになりました。

 練馬区の都立大泉高校から、戸山にいらっしゃったのは昭和四十七年の四月。当時の戸山生について、先生は、「戸山はちょうどその頃、西に追いつけ追い越せの時代だった。生徒はみな、意欲的に勉強に取り組んでいて、新鮮な印象を受けたね。みんな誰もが、先生が教室に入って来る時には、最良の状態で授業に臨める体勢を整えていたし、『わかりません』という言葉を、絶対口にしようとしなかったね」と感想を述べられました。「今の戸山生に一貫して言えることは、『素直さ』だね。言われればやる。まあ裏返して言えば、言われるまでやらないってことだがね」。

 古文の学習についてお尋ねしたところ、「古文は入り方はいろいろだが、まずは数をこなし、自分の体で原典に触れることだよ。口語訳を先に読んではいけない。急がばまわれってね。『あの一冊は読んだ』と、自信がつけばいい。文法で理を通すのも一つの方法だがね」と語られました。

 ところで先生のお生まれになった昭和八年といえば、戦争が始まる数年前。先生の少年時代には、戦争の影が色濃くおちていたということです。「混乱に次ぐ混乱で、食べることに必死の時代だったね。田舎だったから、空襲の被害はなかったけれど、終戦前日十四日夜、熊谷市にあった空襲は近くて、よく見えたなあ」と、戦争中の思い出を語って下さいました。戦後は先生の家も耕作をなさったのだそうですが、全く素人の家族による農業には、苦労がたえなかったそうです。こうした波乱万丈な少年時代には、勉強したという記憶はあまりないということでしたが、先生になることに、大した苦労はなさらなかったとか。古文をお選びになられたのには、小学校の時の先生に影響された所が少なからずあるとおっしゃっておられました。「五年生の時の担任が俳句好きで、よく一緒に俳句を詠んだものだ。その時ほめられたのが、どこか心の中に残っていたんじゃないかなあ」心なし照れながらそう語られた設楽先生に、授業での威厳とはまた違った一面をうかがうことができました。

設楽 武志 先生 国語 戸山高校在職 1972〜86



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