先生列伝(80)三輪 主彦 先生 戸山高校新聞 第213号 1985年9月20日
「自分の目でものを見たい」 地学の先生、実は探検家


1984年卒業アルバム

1988年卒業アルバム

 放課後、地学準備室に行って三輪先生に会おうとしてもまず不可能である。すでにして遁走なさっているのだ。

 今は地学を教えているが、昔はサッカー少年だったという。遁走する先が専ら体育館方面というのも、これで合点がいく。小石川高校ではフォワードの右ウイングを守り、大活躍したそうである。「人の足を蹴とばす係でね。いつも退場させられた」このころ小田実の「何でも見てやろう」を読んだり、本人が学園祭を訪れたりし、サッカー少年はかなりの影響をうけたという。

 大学に進んだころは、探検家を志望していた。山岳部に入り、一九六八年、パキスタンへの最初の海外旅行を企てる。カラコルム山脈の中のひとつの山に登りに行ったのだが、技術が及ばず、「ふもとで羊と遊んで帰ってきた」という。「そのころから挫折の道をたどってきたわけです」。六八年に卒業し、七十年に埼玉の川口高校の教諭になり、地学と化学を教えはじめた。シルクロードに連なる国々を行ったり来たりし始めたのもこのころからである。

 ここで、「どうして探検に行くのですか」と尋ねると、「自分の目でものを見たい。(見もしないで)見てきたようなことを言いたくないから」とおっしゃる。次第に中近東まで足をのばすようになった先生は、ついに七八年、国費留学生として一年間トルコに行く。研究テーマは「トルコの火山」で、火山や温泉に入りびたる毎日だったという。トルコの温泉は日本のと同じなのでしょうか?「大体同じだけど、パンツはいてないと怒られたね」。

 帰国後はマラソンに興味を持ちはじめ、あっという間に走行距離は月間三百キロに達した。

 ひとしきりマラソン談義が続いたあとで、教師を職業としていることに関する感想をうかがうと「先生はおもしろいよ。仲間を増やせるという点で」どうも生徒を“たぶらかす対象”として見ていらっしゃるようなのである。戸山生をたぶらかす対象として、どう感じるか、と問うと、「期待してます」とのこと。戸山生はたぶらかされやすいんじゃないか、とも。「野性に憧れてる部分はあるんじゃないの。憧れでいいんだよ。憧れを真似しているうちに、自分もそうなってしまうから」

 この人は、先生らしくない。余りに野蛮(ほめているのだ)である。が、後に生れたものに刺激を与えるという点で、“師”と呼ばれるにふさわしいと思う。 (Bobbi)

三輪 主彦 先生 地学 戸山高校在職 1983〜94



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