先生列伝(88)竹内先生 戸山高校新聞 第226号 1988年2月29日
  「体操ひと筋40年  情熱の炎未だ燃ゆ」


1972年卒業アルバム

1985年卒業アルバム

1989年卒業アルバム

 今回の先生列伝は、体育科の竹内先生の御登場です。

 先生は昭和十年新潟県の糸魚川(いといがわ)市のお生まれ。海と山に囲まれた中で水泳・スキーと小さい頃からスポーツに親しんできたそうです。その後は体操と共に人生を送ったといってもいいでしょう。体操を自分で始められたのは中学生の時。しかし「田舎だからコーチもいない状態だった」ため、本格的に打ちこむようになったのは高校に入ってからだそうです。そしてその努力の結果、県大会で三位に入り、「家庭の事情で初めは就職しようと思っていた」のが周りの人の勧めもあって東京教育大への進学の道をとりました。ここでも毎日三〜四時間とひたすら練習に励み、国体にも六回出場されました。

 また、当時鉄棒の車輪をやっていて、その金具が外れ、なんと棒ごと飛んでいったこともあったとか。けがはなかったものの、「宙をとんでいたのはおそらく何分の一秒かにすぎなかったのだろうが、その間に小さい頃からのいろんな思い出が頭に甦ったなあ」と不思議なお話もされました。

 その後、二十三歳の時に先生になられ、都工芸、都大泉を経て、戸山には昭和四十四年に来られました。こうして教鞭をとられる一方で体操への意気込みは衰えず、日本代表の総務や監督として、'78・'79年の世界選手権、'75年のユニバーシアード大会に出場、日本を優勝や二位(団体)に導くという功績をあげられました。

 ここで、体操の魅力はどこですかと尋ねると「自分の出きなかったこと(技)を克服することで未知の世界を征服できるところ」とお答えになりました。

 さて、現在の授業については「施設の問題もあるから、今ではあん馬、つり輪までとりいれているのは本校だけだろう」ということで戸山生の授業態度は「全般的にまじめ」。また「どうしたら上手になれるのか」の問いには「とにかく一回でも多く積極的に練習することだね」とのお答え。

 戸山生に求めることは「平均的にできるのも悪くはないがやはり全力で何かに打ち込んでその道のスペシャリストになってほしい。それが自信にもつながるのだから」と熱っぽく語られました。

 最後に「退職の後はどうなさいますか」と伺うと、「小さな子供達に体操を教えたりして選手を育ててみたい。体操は(自分にとって)切って取れない部分だからね」と答えられました。そうおっしゃる先生は、体操への情熱の炎をまだ衰えることなく燃やし続けているのです。
                        (今夜は、雨は冷たい)

竹内芳勝先生 保健体育 戸山高校在職 1969〜1996



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