先生列伝(97)永嶋先生 戸山高校新聞 第245号 1991年12月3日
 「ユーモアを備えた教育精神 〜永嶋校長先生の巻〜 」


1991年卒業アルバム

1992年卒業アルバム

 校長先生…本校の場合、普段は集会の時ぐらいしか顔を見せることがない謎の先生。今回はこの永嶋達夫先生の素顔を追ってみた。
 集会での真面目なお話に、思わず吹き出してしまうようなユーモアを含ませて、生徒を面白がらせつつ御自分も楽しんでおられる。そんないたずら心旺盛な様子からは、多人数の兄弟の末っ子を想像していたが、実は一人っ子。その上ぜんそく持ちだったので、少年時代は随分と大切に育てられたそうだ。旧制中学一年の時はこの小児ぜんそくのために一学期しか出席できず、留年なさる。しかし先生にとっては辛い体験にはならなかった。むしろ一年上の先輩を怖がらずにすんで、のびのびと学校に通えたそうだ。高校生になられてからの先生は、腕白ぶりを発揮する。何と、授業中に仲間と小説の回し読みをなさったという。「速読の練習にもなるしね」。そして、「読んでいる時に指されても一応答えられるというのが、カッコイイんだよ」。と言っても勉強自体を怠けていたわけではなく、様々な先生方の教えに強く影響されたそうだ。
 このように楽しい学校生活を過ごされ、学校が大好きだったことが、高校の教師を目指された動機。ところで永嶋先生の担当教科は国語である。国語を選んだ理由は「母国語だから楽だろう」と思われたため。また、漢文好きのお父様の影響もあるという。
 思い出多い教師生活を経て、昭和六十年本校の校長として着任する。現在は全国高等学校長協会の会長も務められ、週に三日しか学校に来られない位、忙しい毎日を送られている。「土曜日位は校内を回りたい」とお考えだが、実現は難しく、なかなか生徒と交流できないことが一番残念だとか。接する機会の少ない戸山生に対してどう思われているのか伺ってみたところ、集中力があって転換が素早くできる点を長所として上げて下さったが、「次元の高くないことだけど、もう少し教室をきれいにして欲しい」との要望も。今騒がれている自治については、意外にも「合格点」。「すべてを生徒でやるのではなく、教師の力をうまく利用して行うこと」が先生の掲げた自治の理想だ。
 専門に国語を選んだ理由が簡単すぎるようにも感じたが、教育や学校に対する先生のお考えは、あくまでも誠実でそして情熱的である。国語を専攻したのも、実はそこにひたむきな信念があったからで、それを遠回しにユーモラスに表現したのは、「一人の教師、一人の人間」として生徒と接したいというお気持ちがあったからではないだろうか。         (SADAちゃん)

永嶋達夫先生 校長 戸山高校在職 1988〜92



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