先生列伝(99)岸田先生 戸山高校新聞 第248号 1992年6月29日
 「写真家がもう一つの顔」  〜岸田功先生の巻〜


1991年卒業アルバム

1994年卒業アルバム

 今回は、化学を担当されている岸田功先生にお話を伺った。
 先生は、昭和十八年に東京都新宿区でお生まれになった。生家は戸山高校から徒歩で十分ぐらいのところにあったそうだ。早稲田大学に在籍中は、化学の研究のために戸山高校をよく訪れていた程だ。小さい頃は「運動よりも、昆虫の観察をやることの方が好きだった」という。そのためか、東京学芸大学付属高校に進学されてからは「生物学者になりたい」という夢をお持ちになられた。しかし、高校一年生の時の必修課目だった化学に出会ってからというもの、次第にそれに魅かれていくようになる。それでも高校時代は「理系はもともと好きだったから、化学が特に得意だったわけじゃないんだ」そうだ。
 大学に進まれてからは化学を専攻。「大学の教授にも影響されてより一層、化学に魅了されていった」という。大学卒業後は、出版会社に二年間勤められたが、「教師だと自分のやりたいことをやる時間が、たっぷりあると思ってね」という理由で再び大学に戻り、教師の道を歩み出されることになった。
 やや寄り道をして教師になられた先生は、教職の他に、写真家としても活躍なさっている。先生が写真に撮るのは、小さい頃からお好きだった昆虫。そこで先生は名刺を見せてくださった。その左半分には、御自身が撮られた昆虫の写真が載っていた。そして右半分には「写真家」という肩書きが。さらにその名刺には、長野県佐久市に先生が所有されている、写真スタジオの住所まで印刷されてある。別荘をお持ちなんですか、と感心していると「丸太小屋なんだよ」と照れ笑い。
 その後通勤について話題が移ると、先生は突然「戸山の三貧て知ってるか」とおっしゃった。サンピンとは何かと考えていると、「俺と三輪先生と三井先生を合わせて『戸山の三貧』ていうんだ」。先生は東京都田無市にお住まいで、雨天時を除く毎日、電車を使わずに自転車で通勤されている。「生活が苦しくてね」と先生は冗談まじりに笑われた。
 実験を駆使される先生の授業は、常に明るい雰囲気が漂っている。やはり先生のこのユニークな人柄のためなのだろうと、取材の後でしみじみと感じた。
                                (をにょ)

岸田功先生  化学 戸山高校在職 1986〜2003



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