「弔辞」加太靜男君を偲ぶ
「弔辞」
加太靜男君を偲ぶ
赤尾泰裕(昭18)
我々昭和18年卒は今年喜寿を迎え、9月25日に奮発し東京會舘に於て40数名の参加者があり盛大な同期会を持ちました。
加太君は会計幹事として最后迄こまめに勤めてくれ、とても元気で10月末予定していた仲間のゴルフ会、11月の水練部会は出席すると申しておりました。
10月12日夜遅く新日鐵に勤めておられます次男の茂久さんより(長男は裕久さんは日産)父が朝のテレビを見ている最中に突然心不全でそのまま帰らぬ人となった事、お通夜は13日葬儀は14日に新横浜綜合斎場にて行うとの連絡を受けました。
驚くと云うよりとても信じられない事でしたが、幹事と云う立場上直ちに出来るだけ多くの級友に伝えました。
当日は世話役である高橋君を始め、歌田、松井両君は勿論の事、多くの級友が参列され格調の高い、立派な葬儀が執り行われました。
特に最后の東大コーラスOB会のお別れのコーラスは心にしみるものがありました。
加太家は名家であり、明治の始めより四中から歩いて7分位の牛込北町に六人兄弟(うち姉二人)の末っ子として住んでおられまし た(父君の転勤により次兄を除き参方は四中出身)。
市ヶ谷小学校、四中、学習院、東大法学部に進まれ、その間学徒出陣で陸軍幼年学校の教官を経て、本土防衛小型舟艇による特攻隊の一員として豊橋へ、後に帝都防衛の千葉へと出撃命令を待っておりました。
復員して私の家に来られ、当時の状況、決死の心境などを話してくれました事が今でも強く記憶に残っております。東大に復学、卒業と同時に住友信託銀行に入行、その后古久根建設におられました。
同君は貴公子然とした紳士であり、明るく、世話好きで温厚な人柄でしたので誰からも親しまれ尊敬されておられました。特に運動神経は抜群、体力章検定は上級、バスケットの代表選手、体操に水泳などにスポーツマンとして秀でておられました。
そして城北会をこよなく愛し、評議員、同期会、十徳会などの世話役を引き受けて活躍されてました。
四中時代から今日迄私にとりましては最も親しい友人であり、良き話相手、相談相手でありました君が思ってもみなかった急死。
唯々哀悼の念を抱くと共に心からご冥福をお祈りしております。
それにしても昨年は14年卒の邦男お兄さまがお亡くなりになり誠に淋しい限りです。
合掌。
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