四中十五年会 平成15年度総会経過


四中十五年会 平成15年度総会経過
            奥野 恒夫 (昭15)

 会員のほとんどが80歳を迎える本年を区切りとして、総会形式  による級会は打ち止めにするという案内状のためか、北は北海道、 南は鹿児島から32名が集まり、予想外の盛会となった。

 今回は、最終回ではあるし、母校四中が都より進学重点校とし て指定され、加えて校舎を改築中であるので、特に城北会事務局 長の庄内正文氏(昭29)に来会を要請したところ快諾下され、戸 山高校の現状について配布資料に基いて説明をして下さった。資 料「平成15年学校案内」には、昭和24年卒の森岡恭彦氏(昭和天 皇の執刀医)と平成7年卆の乙武洋匡氏(「五体不満足」の著者 )のお二人のメッセージも掲載されており、新校舎の全景写真と ともに、四中卒業生というわれわれの衿持を十分に満足させてく れた。ご多忙の中我々のために時間を割いてくれたことは感謝に 堪えません。

 さて、会は司会及び進行係りを石山洋二、奥野恒夫の両君が担 当し、定刻(1230)先ずは物故者を偲んで黙祷を捧げた後、北川 秀夫君のデジカメで全員の記念写真を撮る。ついで、山下茂幸君 が開会の辞として本会の昨年来の経過を一語一語噛み締める如く 且つ、淡々と述べた後、乾杯に移り、今回連絡先が判明して、初 めて出席した鈴木繁男君が音頭をとった。これによって懐かしさ が一気に湧いた会場は立食パーティに入り、JALCITYの美味な料 理を手にあっちこっちで会話が弾み、会場は最高潮となった。  折角の集まりなので全員の自己紹介が欲しかったが、時間の制 約で、それもならず、司会の独断で、是非とも発言したい人を優 先しますとの要請に、先ずは7月7日に癌死された荒木五郎君の 生前の面影を陸士同期生の山崎勝郎君が紹介した。それにつけて も、故早川英生君が「荒木兄には大変世話になっている」と度々 話していたのを想い出して涙を止めることが出来なかった。  ついで、北海道の前田三郎君・鹿児島の高橋敏郎君・木更津の 石川昌君・東京の小林靖雄君と続き、佐藤修ドクターには「80歳 からの健康法について」という注文、元海将の斎藤国二郎君には 「日本の国防」について、元会計検査院長の鎌田英夫君には「財 政再建について」という注文がついた。

 鎌田英夫君は文芸春秋9月号に阿川弘之氏が誌した故水井淑夫 君の戦死記事のコピーを配布して説明するつもりだったが、司会 の先の指名注文に機先を制せられて説明を忘れるという一幕もあ った。

 しかし、改めて、「終戦直前の8月10日に水井君搭乗の回天を 発射した理由を艦長に直接尋ねたかったこと。また水井君の妹さ んが阿川弘之氏夫人と女子高同級生であった。」という奇遇を披 露した。

 盛会の中に会は進行していったが、石山洋二会計担当者から昨 年来1年間の会計報告があり、残高170,603円については、本総 会の精算残高と合計して今後の月例会の臨時経費に充当するとし、 最終的には城北会に寄付するという方向で全員の承認を得た。尚、 出席の庄内事務局長より城北会の財政状態が良くないので、預金 口座からの引落しでなくても結構ですから、年会費を是非とも送 金して欲しい旨、要請があった。

 ついで、志水達夫君から今後の月例会運営について詳細説明が あり、井田龍男君より東京では月例15年会として毎月第一火曜日 に有志相寄り歓談しているので、是非多数の参加を歓迎しますと の補足があった。

 ところで、この会が少しでも楽しい想い出として残るようにと、 細谷孝至君発想の「阿弥陀籤」が行われ、全員外れ籤なしという 賞品は、お孫さん向けおみやげにふさわしいものばかり。楽しい 一刻であった。

 大分時間もなくなってきたので井田龍男君と大田収君の音頭で 四中の校歌を斉唱したが、予め歌詞が配布されていたので総員精 一杯の声を張上げての合唱であった。

 最後に細谷孝至君が旧海軍の訓練の成果か「総員起こし」(注1 )と大号令をかけ、本日は全員に「浅草おこし」のお土産がありま すと披露、同じく旧海軍の山下茂幸君からこの「総員おこし」の 由来について、「海軍では『総員おこし』といってラッパと共に 飛び起きたことにちなんで、老舗の"評判堂"へ養子となったクラ スメイトが夫人と協力工夫して、軍艦旗のデザイン入り包装紙で 包み『総員おこし』として販売を始め、好評を博した品である。」 と解説があった。ということで「80歳にして、お迎えが来たとき は、まだまだ早すぎると断れ」長寿頌のとおり級全員が「総員お こし」の如く、早寝早起きして健康第一に益々長生きしようとい う示唆に富んだ土産物であった。

 そうこうする中に早1500となり、志水達夫君の発声で中締めを 行ない、名残惜しいが散会となった。折りしも、日本晴れの羽田 空港には拉致された5人が北鮮から政府専用機で戻ってきた頃で あった。

 我々はいつまでたっても、のんびり出来ない六白金星の星のも とに生まれているのだから等と考えながら次ぎの会合に急ぐ人も いた。80歳だというのに。  




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