記 岡田(昭48)
たまたま私(岡田)と仕事のご縁が出来た相手先の会社に、S48柔道班同期の主将が在籍し且つ海外に出張している事が判明しました。今の時代は電子メールという有難き文明の利器があるので、ジャカルタ⇔日本間でやり取りを行い、S48主将の帰国スケジュールに合わせて、S47−49柔道班在籍者の同窓会を卒業以来三十数年振りに行おうという事になりました。
S48同期は兎も角、先輩後輩の全貌となりますと忘却の彼方状態で、メールのやり取りをしても『えっ、そんな人居たか?』でとんと展望が開けない。そこで城北会事務局をお訪ねして集合写真を拝借し、各期の主将に渡す事で芋づる式に全員の名前が判明しました。
幸い蜷川先生のご了解を賜ることも叶い、2ヵ月後の4月17日(土)開催が確定しました。
4月17日(土)18時00分 虎ノ門 中国料理 盛香園
蜷川先生をスタンディングオベーションでお迎えすべく早めに集合。高校卒業以来初めての再会という人も多く、幾星霜の再会が実現しました。いやぁ〜お懐かしや!
18時30分
蜷川先生ご到着。参加者13名全員のスタンディングオベーションでお迎えし、幹事が開会を宣言。直ちに主賓の蜷川先生にスピーチをお願いしました。先生は85歳というご高齢にも拘らず、凛としたお声で柔道班顧問時代の思い出や、都立永山高校長時代のお話、更には蜷川先生の平成10年度著作「学徒出陣 戦争と学生」について滔滔と流れる様な口調でお話頂きました。先生の情熱は昔と変わることなく、熱きお言葉に全員脱帽。
先生のスピーチに続き、S47主将による乾杯のご発声で、賑やか且つ和やかな祝宴が始まりました。
18時40分〜祝宴模様及び参加者各人のコメント
今回の参加者は先生を含めて全14名。(S47は3名。S48は6名。S49は4名。)3学年合計で25名の在籍者がおり、2名が海外勤務、1名が九州勤務ゆえ、正味6割の参加率でした。全員のコメントは紹介できませんので、某氏のコメントのみ紹介させて頂きます。
某氏曰く、
蜷川先生の日本史(近代史)はワクワクする様な、まるで教科書から近代史が飛び出して来る様な興奮を覚え、唯一待ち遠しい授業でした。また、大学受験で浮き足立つ3年冬季には、浮き足立つ高校生に対する人生訓とでも言うべき貴重なアドアイスを頂き、今でも鮮明に覚えています。
蜷川先生曰く、『君達、戦国武将の織田・豊臣・武田・明智・足利は皆一つの方向を目指した。その一つの方向とは京都であったが、結果はどうなったか?皆総崩れとなったではないか。その時一人の武将が京都を目指さず東に進路を取った。それは徳川家康であり結果は皆も知っての通りである。だから君達も皆があの大学を目指すからといって、付和雷同するのではなく、自分にとっての東の進路は何だろうと考えて欲しい。』
忌野清志郎の歌に僕の好きな先生という歌がありましたが、戸山高校で唯一私が敬愛しております蜷川先生を柔道同窓会にお迎えできたことを大変嬉しく思っております。
21時
中締めの時間となり、皆で戸山高校校歌斉唱。誰も歌詞やメロディーを忘れていなかったのはお見事!
次回開催は、蜷川先生の米寿祝いとなる3年後と決定。S47生からは『俺達は還暦かぁ』との歓声があがりました。再会を約してお開きとなり、充実の二時間半でした。