朝日新聞は6月5日朝刊のシリーズ昭和史再訪で、昭和41年(1966)6月の
ビートルズ初来日を取り上げ、当時、警視庁警備課長として来日の警備を総指揮する
立場にあった山田英雄さん(昭25・元警察庁長官、元城北会会長)にインタビューしています。
今からちょうど44年前、34歳でビートルズ警備の全責任を負うことになった山田さんは、前月、会場になる日本武道館を視察し、今回はいたいけな少女が相手だから、慎重に手厚く取り組まなくてはと考え、全警備員に皇室警備でしか使わない白手袋を着用させることにしました。女性ともみ合うこともあるため、はた目にも精神的にも「礼儀正しさ」を強調するねらいがありました。
羽田空港到着後、入国審査はフリーパス。ピンクのキャデラックに乗り、全面通行止めの首都高速道路を5台のパトカーに護衛され永田町のホテルに向かった一行が「日本は車が少ないね」ともらしたと聞き、山田さんは「何を言っているんだ」と胸の中でつぶやいたと回想しています。
公演する武道館ステージに近いアリーナ席は空席にし、2、3階の通路には100人単位で私服警察官を配置。観客は立ち上がることを禁じられ、公演を観た作家大佛次郎(故人)は「人間がいるのを見るとすべて警官だったくらい」と朝日新聞に寄稿しました。
103時間の滞在を終え離日するまで、全神経を傾けて警備を無事やり遂げた山田さんは、「彼らの音楽は騒音にしか聞こえなかったが、あの情熱は生涯忘れない」と語り、後年、ビートルズのインタビュー番組で「マニラに比べ、東京の警備はしっかりしていてよかった」と彼らが言っているのを聞き、やっと肩の荷が下りた気がしたと述懐しています。