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 鷲谷いづみさん(昭43)の活躍を日経紙が紹介
   生物多様性保全と自然再生に多忙な日々

 平成21年1月、戸山高校で開催されたトヤマ・オープン・カレッジ(TOC)公開講座で生物多様性の保全と自然再生の重要性について、母校生徒・保護者・同窓生や新宿区民に対して話をされた東京大学大学院農学生命科学研究科教授鷲谷いづみさんは、現場踏査、講演や著作出版、国際会議出席など、専門分野で活躍しています。

 日本経済新聞は、今年8月30日から、「人間発見」シリーズで"生物多様性をみつめて"というタイトルで、鷲谷さんの生い立ち、保全生態学者になり自然の再生と保全の生態学を提唱するようになるまでのいきさつを5回にわたり連載しました。そのあらましを紹介します。

おいたち 1950年東京・世田谷梅ヶ丘生まれ。当時の梅ヶ丘は水田と屋敷林があり、近くに烏山上水が流れているのどかな田園地帯。ニホンザリガニを捕まえたり、弟と庭に穴を掘って遊んだりしました。地元の小中学校を経て進んだ都立戸山高校では軟式テニス部と化学部に入りました。化学部は、女性が社会で仕事をするなら理科系がいいとの母のアドバイスによるものです。弟も戸山を卒業し(昭46)いまは東京大学農学生命科学研究科教授を務めています。

 1968年東大に入ったとたんに全学スト。授業がないので軟式テニスに精を出し、国立七大学や東京六大学の対抗戦に出場していました。ようやく授業再開。理学部植物学科に進みましたが、科学を志すために必要な実験・実習はほとんど受けられませんでした。十分にできなかった勉強の不足を補おうと大学院進学を決めました。

子育てと研究の両立 修士課程1年目に、高校の1年先輩鷲谷徹(昭42)と結婚。
博士課程のときに長女と次女を出産。研究分野を生態学に移したばかりでの子育てでした。
女性の労働にかかわる問題を調査研究の対象としていた夫は、「家族と一緒に食事ができる働き方」を合言葉に、子育ての分担に積極的に応じてくれました。

 理解のある配偶者に恵まれたのに、なかなか理解を得られなかったのが福祉事務所でした。娘達を預ける相談に行ったのですが、大学院生やオーバードクターは常勤職でない、常勤の仕事を持つ女性の子どもが優先だと冷ややか。自分の論文など研究成果を持参して懸命に説得しました。

秤と物差しがあれば 生命をDNAやたんぱく質などの分子・原子レベルで解析して、複雑な挙動を説明する分子生物学が全盛の時代に、私はそこから逆流する形で生態学に転身しました。修士課程で植物の葉緑体の研究をしていましたが、放射性同位元素や大型の分析機器を使った研究の先行きがあまり見えてきませんでした。大型機器が必須の分子レベルの研究がいつまで続けられるのか。研究職としての就職の見通しが立たない不安もありました。そんなとき、隣の生態学研究室から「機器ははかりと物差しだけあればいい」という話が聞こえて心が動きました。生物を丸ごと見つめる生態学的な思考との相性もよかったのだと思います。博士課程からは生態学研究室に移りました。

生態学研究は現場主義 生態学の研究は何度も現場に出かけ、辛抱強くデータを集めます。
室内実験が主体の研究に比べ、とても手間暇がかかります。学会で注目を集めたサクラソウの研究も、野生サクラソウの自生地である北海道日高町に筑波から通い詰めました。
ハウス栽培のトマトの授粉用に輸入したセイヨウマルハナバチが逃げ出して野生化しているのが最初に見つかったのは、この日高町です。地元のボランティアの方々の目撃情報を記録し監視活動を続けたことが、野生化の過程をあきらかにするのに役立ちました。

希少種より一般種の衰弱が問題 筑波大のすぐそばにある霞ヶ浦では多様性の喪失が問題になっていました。ここではアサザの研究を手がけました。水面にハート型の葉を浮かべ、かれんな黄色い花をつける水生植物です。水質汚染とコンクリート護岸で衰退したアサザの群落が湖と陸をつなぐ浅瀬に再び広がれば、浅瀬は小魚の隠れ場所になります。やがて一部はヨシ原とない、多様性に富んだ岸辺の生態系が再生します。人跡未踏のごく特殊な環境でひっそりいきている希少種の絶滅より、人間が暮らすすぐそばにある種の減少がずっと大きな問題なのです。

市民参加のモニタリングが大切 生物多様性の実態をつかむのは難しく、状況監視(モニタリング)の情報量がものをいいます。実態が把握できたら研究の半分は成ったといえます。今、提唱しているのは、様々な層の市民に幅広く、時にはより深く監視に参加してもらうことです。私はこれを「モニタリングの高度化」と呼んでいます。

 昨年からは生協「パルシステム東京」と、東京の蝶類のモニタリングをする協働プロジェクトを始めています。組合員と職員に、どんな蝶をどこで見たかを報告してもらい、パルシステムから研究室へ写真データとともに送ってもらいます。昨年の報告数は5640件、事前に予測した71種のうち56種を確認しています。正確で密度の高いモニタリングができています。

 動物であれ植物であれ、多様性の研究は地域の様々な人々の協力なしには成り立たないことを身にしみて感じています。環境保護団体、個人のボランティア、農業者、漁業者、学校の生徒・学生まで、たくさんの人が参加することが質の高い調査になるのです。北海道黒松町では自然愛好家である漁協の理事長に触発されましたし、岩手・一関では周囲の人を巻き込む僧侶の見識に感服しています。研究者は教わることも多いのです。

いま年4万種が絶滅 世界では今、1年当たり約4万種の生物が絶滅しているといいます。
100種/日が地球から姿を消しているのです。10日に1種ほどだった産業革命以前と比べると滅びのテンポは実に1000倍。地球の長い歴史の中でもそうはない猛烈な絶滅期に入っています。その認識が日本の社会にはいささか欠けているのではないでしょうか。

 社会の意識変化には時間がかかります。何事も決裂してしまうと前に進みません。国土交通省の河川整備計画の審議では、行政の行動原理を自分なりに生態学的に考察した上で接し主張するのです。政策も大切ですが、理解者が増えることが一番です。私がフィールドで出会った自然愛好家のみなさんのような方が、全国各地に増えていったら、行政だって変わらざるを得ないでしょう。その一歩として、私が委員長をしている日本学術会議の統合生物学委員会で、自然愛好家を増やすための方策を提言しました。

COP10が名古屋で開催 この10月には名古屋で、国連生物多様性条約の第10回締約国会議(COP10)が開かれます。温暖化防止条約と並ぶ地球環境関係条約の二本柱の一つですが、日本ではあまり関心が高まっていないようです。生物の多様性、生態系の多様性が、人類の生存基盤なのだということを、すんなり受けいれるのは、日ごろの生活で実感が伴う温暖化に比べると難しいのかも知れません。

 でも、人類は長い時間をかけてそれに気づいたのです。多様な命が人類に供する便益を、「生態系サービス」として定量的にはじき出そうという試みも始まっています。経済的利益と多様性の保全は矛盾しないどころか、両者の共存共栄ができ、相乗効果すら見込める命題だと思っています。

 保全・再生の生態学は、学者だけが力んでも成果はそう大きくなりません。住民、行政、自然愛好家など多彩な人々との「協働」が不可欠だと思います。自然の生物だけでなく、その土地の地域社会も私たち生態学者にとっては理解すべき大切なフィールドなのかも知れません。

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