先生列傳(4)平久保先生  四高時鐘 第4号 1949年11月4日


1940年卒業アルバム

1956年卒業アルバム

 風流の過ぎたる悲し秋のカゼ──
月は満々と流れる市川にあますところなく写し出されて、虫の声もあわれに、風流の気は満天に充ちて居る、と、今までは小ぶるえにふるえながら糸をたれていた一つの影法がくしゃみ一つすると見るやそばの枯草にこそこそともぐり込む、正に午前零時、枯草の中ではくしやみがたてつづけに五つ六つ聞えて來る──とぼくは想像する。「いや、どうも」と先生はおつしやる「あの時程弱つた事はないね、月を見ながらのつりとしゃれこんだのは良いが、さすがに秋の夜中だ、万物皆凍らんばかりの物すごさだよ、それにもぐりこんだ枯草がくさくてね、弱つたよ、東京へ行く荷車にやつと頼み込んでびつしよりぬれて東京についたのはもう明方だつたよ、正に幻滅の悲哀つてところさ」少年時代の思い出で先生ちょつとセンチになられた「ぼくは人から見ると非常にまじめに見える、酒はのまん、女は受けつけんというような固さが見られる、所がある年代の時には恋もした、恋愛というものはチャンスさえあればだれでもするものだね ただチャンスの問題だが私の若い時分にはなきにしもあらずだつたよ」

 これは耳よりの話と早速その経験談を聞かせていただく。 
 「大学時代に病気をした、その時看護婦と恋愛した、しかしやつぱり若いんだね、誤解と言うことがある、若いからぎこちない、とうとう分れてしまつたよ、しかし結婚前に恋愛をすることは責任無い、後に恋愛すると問題になるがね、ぼくはワイフに対して過去のことに就いて絶対に聞かないし、またいわない、過去を問いただすなんて意味のないことだ」

 話題を変えて現在の心境をおききした。
 「“少年老い易く”じぢやなくて“中年老い易く学成り難し”つてところです、一寸の光陰軽んずべからず、あと十八年で私ももう老境、時間は非常に貴重だね」

 四中時代から獅子、鬼瓦、ガンヂーと先生のあだ名も変遷して來たが、今はあまりあだ名を言う者もないようだ。「男爵」とたまに言はれるが、それはひょつと先生の温和な人柄にぴったりしたからと思われる、そして今「いくら勉強しても疲れないよ」とおつしやつている先生の御顔は、さながら獅子ともガンヂーとも、そしてまた男爵とも私には見えた事であった。

平久保章先生 日本史 戸山高校在職 1938〜80



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