先生列傳(7)武藤先生 戸山高校新聞 第6号 1950年3月18日
 「失戀は問題外」


新聞第6号

1956年卒業アルバム

「えゝ。大学に九ケ月ばかりアルバイトで女学校に行つてましたがね。えつ?いやあ私はそんなロマンチストぢやないですよ。

 よく若い先生の処には行李一杯手紙がくるなんていいますが、私なんか一通ももらつた覚えがないんですからね。推して知るべしですよ。いや、本当ですよ。私は唯物論者ですから、恋愛なんか一つの自然現象だと思つているんです。私も若いころは、恋愛のない結婚はいけない、必ず破たんすると思つてたんですが、こう年をとると(?!)必ずしも恋愛結婚である必要はないと思うようになりました。もつとも人の思想なんて時の函数ですからね。今こう思つていても明日好きな人が出來れば又違つた考えになるかも知れませんから、その点は保障しませんがね。

 私達は古い教育を受けて来ましたから、それだけに男女交際の機会もなく、所謂感情教育も充分でなかつたんですね。だから、例えば結婚を申し込んで断られる。するともう生きて行けないゼツボーなんていい出して自殺なんかする。人口が減る事は後に残る者には有難いんですが、惜しいと思いますよ、立派な青年がね。第一失恋なんか大した問題ぢやないですよ。本を貸してくれといつて、断られたのと同じですからね。いくら一方が夢中でも、双方の同意のない結婚なんて成立しつこありませんよ。それからこんなこと考えてるんですが、今恋愛結婚の九割はうまくいつてないんです。來なぜかというと愛を得ることに夢中になつちゃつて、結婚したらほつと安心してしまつて何もしない。そうぢやなくて結婚ということは、結婚することが大切なのではなく、結婚してからの「生活」が大事なんですよ。それから結婚は早い方がよいと思いますね。早ければ自我が固定していない、それだけに未完成だといわれますが、一人が丸く一人が四角に完成されたら合わせようがありませんからね。結婚して二人で一緒に完成して行くんですよ。

 えつ、教育に対する抱負ですつて?そうですね、私が教師になろうと思つたのは小学校六年の時で中学の二年の時に数学の教師になろうと思いました。そのころから私は教師は大学を出て研究の最尖端を行くようでなければいけないと思つたんです。そして一つ生徒の才能を思うままに伸す教育をして見たいと思つたんです。敗戦直後ペスタロツチの「ゲートルードは如何にその子を教育するか」フローベルの「人間の教育」ナトルプの「教育と哲学」を読み、序でにデユーイの「民主主義と教育」を一緒によんで、大いに教えられました。何でももつと科学的に分析的に考えなければいけないと思つたんです。又すすめられて、デユーイの「教育哲学」を読んだりいろいろ勉強した結果こう思つたんですね。今迄日本で立派な研究が出なかつたのは、教育が劃一的暗記主義であった。原因は何か?理由は何か?という事を自分で科学的に分析したり、社会心理学的に解明したりする精神的な「いとなみ」が少しも加えられていなかつた。テインダルのいうような空想性がほとんどなかつた。つまり創造的でなかつたわけです。それから辯証法がなかつたことによると思うんです。私はこれから今いつたような欠点のない教育をしたいと思うんです。又勉強に就いて私は失敗したからいうんですが、若い内に基礎を作って置いて上に進むに従い段々せまく深く入つて行くんですね。どうも話がカタクなつてしまいましたがこれ位にしときます。

 ★ほんとは先生のお話を全部書きたかつたのだけれど、しかし、すべからく、読者は先生の写眞をよく見て下さい。その方が僕が何か書くよりはるかに良い。とても良い写真です。(小川)

武藤徹先生 数学 戸山高校在職 1947〜86


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