先生列傳(11)柴田先生 戸山高校新聞 第18号 1951年7月21日
「名実共に古典的存在


1938年卒業アルバム

1957年卒業アルバム

1952年運動会

「柴田先生はお元気でいらつしゃいますか?」よく電車の中で見知らぬ年輩の人から聞かれてびつくりすることがある。「ええ、お元気です」と先生の顔を想い浮べながら答える、先生は普通こわい人で通つている。よく先生列傳を書くO君も新調の背広を着て、意気ようようと学校に來たとたん「おいおい」と呼びとめられ説教一時間「学生の本分は……云々」とやられて、今度の先生列伝を書くのはかんべんしてくれというわけで筆者にお鉢がまわってきたのである。自治会や運動部の猛者連も先生にだけはおそれをなしている。かくいう筆者も先生のクラスになるやたて続けに五六回お説教を食つてきもを冷したものである。

 先生が本校に来られたのが大正十四年、それ以来その厳格さと親切さを持つて代々の生徒に深い印象を与え、かくして在学生が先輩に電車の中で驚かされるのである。ここで親切という言葉がひよいと出てきたので、読者はびつくりすることであろう。筆者は先生位親切な人を未だ見たことがない。

 実は先生の厳格さも、内面の気の弱さの別の現われなのである。先生の数学の授業は天下一品で筆記は全然許されず、問題の答案を黒板に書いて来て、訂正しに行くと「いけない、ずるいよ、それはカンニングと同じだよ」とやられる。ちよつとした所でもまちがえると一年生当時の復習を五、六分もやらされ「こわいよ、誤は育つよ、注意してくれ」といつもいわれる。実はこの時先生の気の弱さがあらわれる。このお説教の最中、草履の足を神経質にすつている。筆者が先生の所にインタービユーに出かけた時も「まあ私でなくとも他の先生方もいらつしやることだし、例えば藤村先生、中内先生は大正十二年にいらつしやつたのだよ」と教えて下さった。何かおつしやりたいことでもと伺うと「まあ、先輩に聞いてくれ」と笑って逃げられた。さっそく去年卒業したIの所へ行つて何かいいたいことあるかと聞くと「先生も衰へたね」の一言である。先生は内気の気の弱さを古武士的な態度で強力に意志でおさえつけ、厳格に身を持しておられる。だからまた他人のあらが目についてしようがないのだと思はれる。最近先生の御健康のあまりおもわしくないことを聞く。Iもその点を心配したのだろう。筆者も先生の御自愛を切に祈つて筆をおく。(N)

柴田治先生 数学 戸山高校在職 1925〜61


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