先生列傳(17)高木先生  戸山高校新聞 第25号 1952年9月19日

「先生は化学の虫」


1956年卒業アルバム

1956年卒業アルバム

 神奈川県愛甲郡に呱々の声をあげて以来、化学を好み、化学のために生き、また将来も同様に生きるのであろう人----それはわが高木先生である、といつても判らない人があるかも知れないが、サンジャクのニックネームで皆に親しまれている先生である。

 先生は中学時代から化学者になることを希望され、今もまたその意志を変えず励んでいられる。大学に入学する際も最初から化学をやれるならどこの大学へ入つても構わないと思つて試験を受けられたそうである。それ故に「自分としては大学受験生は大学を目標にするより、自分の将来と個性とを考え合わせて、自分に適する学科を選ぶことをおすすめしたい」と語つていられる。

 去年の学園祭のクイズコンテストで先生チームで大活躍された先生は素晴らしい記憶力を持つていられ、授業を受け持つている級の出席簿の名前をわずか三、四週間で暗誦してしまわれるのが例年の事となつている。だから出席をとるのに、名簿など見ずに生徒の席の方を見ながら名前を呼ぶので、先生の時間の代ヘン等は効果がない。

 昭和廿二年本校へ来られてから今年で足かけ六年目、少くとも千百人の名前を名簿順に沿つて覚えてしまわれた事になる。もつと凄いことには、先生は十二ケ国語(われわれなんか日本語だけで窮々しているのに)も御存知で、現に二年生の第二外国語の中ドイツ語の方の授業を化学の他に担当していらつしやるのである。

 先生の趣味はこの語学の他に、読書、音楽、旅行(勿論化学実験はいう迄もない)と幅が広く、近頃は旅行が大好きだそうで、「自然に親しむことは大変良いことだ」という詩人的な面も備えていらつしやる。

 大学末期になって「自分は化学一辺倒になりすぎている」ということに気が付かれ、そしてそれを直すために他の科学や宗教を勉強していられるそうであるが、宗教の世界について「宗教は科学とは違う。宗教の深い世界に入ろうとするのに障害になるのは自然科学ではなくてむしろ欲だ」と語っておられた。

 先生でさえも講義にでられる前に、講義について深く研究せねば駄目だそうで、「参考書だけでは授業なんかとても出来ない。平凡は無能なりということを、戸山で教えるようになつてから痛切に感じるようになつた。」とおつしやつていられた。

 学生時代は軍国主義がひどく徹底していたころでとくに高校時代は社会的に非常に暗かつたのだそうで、そのころについてはたのしい思出は一つも持つていられない。「その点現在の大学時代、科学の世界に弾圧が加えられなかつたのが不幸中の幸いであつた。学生は社会に対して眼が明かるい。学生が政治運動など心配するようなことには同情をよびおこされる。」と語り、さらに現在の戸山高校に対して「もつと全生徒が生徒会、クラブ、HR活動に関心をもつことがのぞましい。」といわれていたが、一方御自分でも自治精神の欠如を取除くために一生懸命で、H・R懇談会などに熱心に出席なさつている。

 この他種々先生についてお知らせしたい事を数々あるが、紙面も尽きるから、最後に「先生は「化学の虫」である」と評し筆を置く。(Y)

高木健二先生 化学 戸山高校在職 1947〜85

 先生列伝も回を重ねて本号の高木先生で十七回を迎えました。四高時鐘創刊号の藤村先生以後福島、中内、平久保、広瀬、武藤、杉浦、小川、伊藤、北野、柴田、和田、中村、校長、岩切、平賀の諸先生に御登場願ったわけで、この間執筆者も永鳥、小川青木西片の各君を経て現在に至つております。
 とかく堅くなりがちな紙面の一端として、諸先生のお話やプロフイルを伝えることに努力しておりますが、諸先生、生徒諸君もどうかよろしく御協力下さいますようお願いします。今度は是非この先生のお話を!という御希望がありましたら部員迄お寄せ下さい。


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