先生列伝(20)宮本先生  戸山高校新聞 第28号 1953年2月6日
 「人一倍の勉強家」


1956年卒業アルバム

1960年発行先生列伝小冊子

1952年卒業アルバム

 一昨年の夏休み、私は都会の酷暑を避けて北多摩郡小平町の伯母の家にいた。その町に先生が住んでいられることをふと想い出した私は、いとこに先生のお宅を知らないかとたずねたのだつた。幸い知つていたので夕方自転車に二人乗りして、失礼な先生訪問をしてしまつた。平野の中の木立のかげに先生の庵はあつた。

 玄関から奥まで壁におそらく国文科系統のものであろう書籍がぎつしりと積まれていて異様な圧迫を感じた。蚊帳の中から五つ位の女の子が出てきてぴよこんとおじぎをしてくれた。一粒種の女のお子さんである。奥さんが紅茶と名物の西瓜を出して下さつた。やつぱり西瓜を食べてきたので私共は味よりも御好意に感謝しつついただいたのだつた。

 その帰り道、自転車の後でいとこが「あの先生、笑うと犬みたい」といつた。それほど先生は皆に親しまれるあだ名をもつていらつしやる。何事も第一印象である。そんなことがあつてから、私は急に先生に注意しだした。(これは大変失礼ないい方だが全く注意をひかれたのだつた)先生が戸山指折りの国文学の学者であることは有名だが先生が府立三中出身、芥川龍之介の後輩であることを知つている者は数多くはあるまい。私は人の戸籍調べなど大きらいではあるが、先生が静高、東大と進んで来られたことだけは書いておこう。もう直ぐ卒業出来るであろう私が、僭越ながら先生に一言申し上げておきます。

 御存知のとおり先生は図書館の主任、すなわち先生のお話は長い。委員などが十分間の休みに先生のもとへ用をたしに行って次の時間に遅刻しなかつた例は少ない。善良なる生徒である委員は大いに困るという話しなのだが、しかしこれは先生の最も良い面のあらわれだといえるかも知れない。何事にでも熟考して何事もわかるように話して下さる。なさることがイミシンチョウなのである。今時先生のように一人コツコツと研究する人は少ない。常人凡人にはできないことである。先生の研究が今後の戸山の国文科に、大いなる力となることを信じて疑わないのである。こんな話がある。ある級の授業時間に「皆さんが俳句を作ったら、虚子のところなんか持つて行かずに、私のところへ持っていらつしやい」自信の一言ではある。戦争中はずつと芭蕉の句を読んだり研究をしていたりされたというのだから、武蔵野の一画に在る白壁の家も庵と呼んで現代の芭蕉として俳諧の道の妙を味わつておられるのかもしれない。奥の細道を一人しのんで夕暮には散歩をなさるのだそうだ。そう、やつぱり先生の今後の御活躍と御健康とを祈つて筆を折ろう。(永山淳二)

宮本三郎先生 国語 戸山高校在職 1943〜58 


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