昭和二年二月二十日生まれだから今日で満二十七歳と四日になる。まだ独身であるのは恐らく、忙しくて恋人のなり手が見つからないからだろう。――これは戸山雀のウルサイおしやべり――
戸山に先生は多が、風態のアカぬけしていない方では指折りの存在であろう。袖のすりきれた紺のシングルと膝の出たズボン。一ケ月位放つたらかしとくらしいアゴヒゲ、いつも勝手な方向へ勇ましく突つ立つている頭髪。踵に十円玉位の穴がある靴下等々。年に一日位の例外はあるにせよ、独身の無精の青年の「典型」であろう。こんな恰好で廊下をノシ歩き、出席簿をブラ下げた直立猿人の如くヌーツと教室に現れる。これが学習院だったらたちまちボイコツトされるかも知れないが、より平民的な本校の生徒達は靴下の穴を見てもニヤニヤするだけだ。尤も当人は常に「戸山一好男子の文学青年」と称しているが、その判断は諸君にお任せする。
性温順にしてヒユーマニストであるとは万人の認める所だが「生徒に甘すぎる」という批評もここから出ているのかも知れない。
我々には怒った顔は滅多に見せないが、本当に腹を立てると柴田先生よりもコワイ顔をする。「僕はよく組合なんかで討論する時、腹を立てると本当に相手にカミツクんですよ(註、勿論実力行使に非ず残念)」と云われるが、この強者搾取者に対する怒りを裏返せば、余り丈夫でない体を持ちながら、授業の余暇を組合活動に或いは我々のクラブ活動への助言と指導に投げ出す原動力ともなっているのだろう。かくて現在彼は顧問在任実に十数班というレコードホルダーなのである。
高校時代は「文学青年」で文芸部の親玉だつたという。下落合郵便局の二階にある先生の部屋では、貫一を連想させるような写真が「若かりし頃」の先生が演出したゴーリキー作「どん底」の舞台写真と同居しているその時の彼の役が六十歳の老巡礼のルカだと知つて「ヘーエ、これがねエ・・・」と改めて写真を見てサン嘆したことだつた。東大では日本現代文学を専攻し、日本唯一の井伏鱒二の研究家でもある。(現代日本文学全集・井伏鱒二集・筑摩書房・参照)しかし先生の本棚には専門外の筈の社会科学関係の本がズラリと並んでいる。こうして「文学」のカラに籠ることなく常に「社会」を見つめている点彼が単なる文学研究家に終らない所以があろう。
授業は非常に熱心だが、教材の中に漢文が出て来ると実にユーウツそうな顔をする。そして高校時代、漢文についていかに劣等生であつたかということを一席弁じて、何とか辻褄を合せてしまう。それはともかく先生はまだ若い。それが長所でもあり又ある時には短所でもあるようだが。
色々勝手なごたくを並べたが日増しに逆コースへの波が高まりつつある今日、至極当然のことだが「学校は『人間』を作る所であって、生徒の『人間性』をスポイルする所ではない」という信念を持つておられる先生に対して、我々の期待する所は大きいといえるだろう。--カアル--
米田清一先生 国語 戸山高校在職 1950〜65