先生列伝(39)桝本先生 戸山高校新聞 第49号 1955年11月26日
「ボーズ頭の優等生 天井にらんで名講義」


1956年卒業アルバム

1957年卒業アルバム

1968年卒業アルバム


 MR.SETSURO MASUMOTO(?--)旧二中・一高・東大を経て27年5月以降戸山高校講師。容姿タンレイ(但し紺セビロについたチヨークの粉は除外)言語メイセキ(但し外国語部分除外)教卓の上の黒板拭きはそのキチヨウメンさを表わし、教室の天井をニラんだ雄姿は遠大なる歴史との対決を表し教卓に向つての名講義はついにその背中に神経痛を起さしめ、同時に並みいる生徒の手をして殆んど筆記し続ける事を不可能ならしめる。厳父は中央大、東京理科大で独文の教鞭をとられ、二人の弟さんはそれぞれ基督教大、東大独文科に在学中。

『いやあ・・そうですねえ・・ボクは乱読の傾向がありまして、そうだなあ、ボクはドイツ文学が好きなんですよ。やはりゲエテなんか好きですしねシラーも素晴しいですね、エエ。』『ボクはねえ、やはり皆さんに歴史の見方のセンスという様なものを養つていただきたいと思うんですよ。だから最初のうちは、何とか歴史に対して興味を持つてもらえる様に講義を進めてる訳なんですけれどもね、エエ。ときどき文学作品なんかを紹介するでしよう。文学に限らずその時代々々のクラシツクなものを読まれると良いと思いますね。そうすると人間が昔からどんなことに悩んだり喜んだりして来たかが良く分るんですね。社会構造や経済機構は根本的に変りますが、人間の問題を解決する。その方法つてものはいつの時代での余り変つていないことを考えさせられますし』『なにしろ今の社会科は範囲がひろすぎましてねえ、時間が絶対的に不足なもんですから、もつとお話したいと思つてもこの点に縛られちやつて、どうしても講義が羅列的になつたり網羅的にならざるを得ないんでしてこの点どうも・・歴史つてものは本来もつとダイナミツクなものなんですがね。ボクがこの学校へ来た最初の年に「教科書買つて損した」つて云われまして・・これには一番参つたなあ』『ボクももう10年たてばねえ自信持てるんですけれども、なにしろ今はこつちも勉強している最中なもんですから・・』『・・では最後に、私達にとつて一番大切なことは、史実をあくまで尊重する態度を貫きつつ将来に進むことだと思います・・(11月18日午後五時、エンエンとして続いた西洋史補講の結語)』

皆が心配している先生のイガクリ頭については、特別の理由はないそうです。あれは休みに坊主のアルバイトをやる為だなどと云うシマオクセツは、これで最終的に消える事でありましよう。只、僕達の新しい心配の種は、先生が過労ではないか、という事です。

然し、その名講義を聞きながら僕達ドングリ共は時々考えます。・・『先生はやつぱり優等生なんだなあ、学生の時も優等生、先生になつてもやつぱり優等生・・どうもつきあいにくいや・・』先生がほんとうに僕達みんなのマスモトサンに、そして『戸山高講師』から『戸山高教諭』になつて下さる日の一日もはやからんことを、僕達は祈ります。
                         (M&K)
桝本摂郎先生 世界史 戸山高校在職 1952〜89



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