先生列伝(47)春田先生  戸山高校新聞 第58号 1957年5月15日
 「ゲテモノ喰いの山男 専門は蛾の研究」


1961年卒業アルバム

1960年発行先生列伝小冊子


◇昨年六月に日本橋高校から戸山に来られて生物の教鞭をとられている先生である。未だ一年足らずなので知らない人もあるだろうが、とても親しみ易い先生である。先生の方も僕等のような若人が好きであると仰有る。その為か教師としても御自分に満足を得られているそうである。

◇山岳班の一員が言つていた。「春田先生は山へ行くと人がまるで違つちまうんだ。第一全然おつかなくなるよ。」と。
「父が小説家であり学者であつたので、幼い頃から色々な所へ行き自然に親しみ出し。
中学三年の時は日本アルプスを征服?し、山が好きな余り高校は長野の松本高校へ行きましたよ。
山への情熱は益々高まり高校二年で日本中の殆んどの山を登り尽くしてしまい、その年の昭和十六年には台湾の山を登る事を友と計画し、理解のあった父に相談して早速実行に移した。現地で蛮人のタイヤル族十人なるものを従えて四十日間山中でテント生活をしましてね、携帯ラジオや双眼鏡等を持つていつたので、タイヤル族にもう少しで酋長に祭りあげられるところでしたよ。それから東大へ行っても山岳部に入り三年間リーダーを務めましたし。その間に小学校から大学まで一緒だつた二才上の兄を前穂高で失いましたがやはり山の味は忘れられず、今でも一月に二回ぐらい都会を離れて山の空気を吸つてこないと何だか心が落着きません。山の魅力ですか?それは山登りする者だけがわかるものじあないでしようか。君に恋人がいて、その恋人のどこがいいのかと尋ねられて、瞳だとか、口もとだとか一つだけを取つては答えられないでしよう。それと同じに雄大な自然に存在する山全体にたまらない魅力があるのです。」まさに山を恋人とする山男と自他共に許す先生である。

 紫にたちのぼるタバコの煙をじつと見つめながら、趣味ですか?そうですね、スポーツなら観る方も自分でやる方も両方好きですね。これで剣道もやつたんですよ。もっとも。余り強くもなりませんでしたが・・・それから私の専門方面は蛾の分類と形態の研究というものなのですが、全国に四千種程いる蛾の三千四百種程集めまして、標本になつているのは三万匹位います。まあこれだけのコレクシヨンはいささか誇りと思つています。これは大して自慢になりませんが、この学校では、ゲテモノ喰いを他に譲らないと思いますよ。山で食糧がなくなればガマガエルをさがして地面に叩きつけてつぶし、皮はピツとむいて後は焼鳥のようにこんがりと火であぶると骨まで美味しく食べられるし、ネズミなんかも大分エサにしました。植物は毒草でない限り殆んどのものを、口にしました。さつきのガマ料理は僕の得意ですが、こんどごちそうしましようか。」・・・そればつかりは遠慮します。

◇「父も左利きだつたのを無理に親から注意されたので、どうも自由にいかなかつたので、私の左利きには、そのままでした。父は何事にも理解があつて山へ行くと云えば小遣いを、松本高校に行きたいと云えば、ああそうかという風に。それから私には小学校の昔からの友達が居るんですよ。いまでも時々会つていますが、友達はやはりよいもんですね。青春は自分なりに出来る限り謳歌したんですが、矢張り戦争などがあつて、思う存分という訳にはいきませんでした。」

◇「去年は森川先生のあと二ケ月のブランクもうめるつもりでい私としても面白くない授業をやつたのですが、今年は、運動場へ出てみたり、スライドを見たりして、もう少しゆとりのある授業をやりたいと思つています。戸山の生徒ですか?一応みんな東大を志望しているのでしようが、一有名校に集中する傾向の中では戸山もしようがないと思うんですよ。」こうおしやつてたばこの灰を落された。

春田 俊郎 先生 生物 戸山高校在職 1956〜67



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