先生列伝(49)安達先生  戸山高校新聞 第60号 1957年9月16日
 「若き日の念願 植物赤十字の設立」


撮影年代不明

1960年発行先生列伝小冊子


 安達先生と言つても知らない人が居るだろう。そしてそれは戸山生として大変残念な事だ。安達先生は戸山高校那須農場を管理して下さつている方で合宿、林間学校に参加した人達にはおなじみ深い。

 先生のお国は島根県松江市でそこの小学校、高等部を終えられてから、長野県の更科の農学校での十九年間の教員生活を送られその後四中道場(現戸山高校農場)に来られ、約二十年間その管理をされている。

 先生が農業に興味を覚えられたのは、島根県から上京された時、その頃大隈公によつて設立されていた「植物愛護会」の影響を受けられたためで、先生は「植物赤十字」という物を作りたいという理想を持たれたそうだ。すなわち人間同士の戦争のために多くの植物が傷付く。植物は口が無いから何も言わないが苦しいにちがいない。その様な生物を救うために世界的団体を作りたいと色々尽力されたそうだ。

 その後農学校を終て四中道場に来られたのは、折ふし先生が考ずる所有って満州に境地を求めんとしていた時で、農学校の校長の薦めと、先生の奥さんの頼みで四中道場に行かれる事になられた。

 その時始めて当時の四中の深井先生に会われたのだがその時深井校長は「こちらへ来られる以上は少くとも十年は腰を落ち着けてほしい。又育林業を生徒に教えるのみでなく夜には話をして欲しい」と言われたので、そんなことは出来ないと言われたそうだ。すると深井校長は「難かしい事を言つているのではない。ただ貴方が実際にしている事、貴方の出来る事を話しさえすればよい」と言われたのは先生の一生を通して最も心に残つている事であり、又言行一致という事をしみじみと考えさせられたそうだ。

 この農場管理に当つて最も苦しまれたのは終戦直後で、これが軍国主義教育の施設として白眼視され、特に卒業生等も非常に悪感情を抱き、施設をこわしに来たりした時だが、今ではそれも思い出に過ぎないそうである。

 これからの望みはとお聞きすると、施設の面では是非ふとんを備え、障子、唐紙を直したい。又ここを利用する生徒達は大変良くやつてくれるので別に何もないが、もつと多くの人々がこの施設を活かし、卒業後も時々訪ねてくれるようになると非常にうれしい。

 今の学生は規律等は昔の学生に劣るかも知れないが、自主的で、自分の行動には自分で責任を負つて物事を処理するのは見ていて大へん頼もしく思われる。自分などもこれから皆から学んでいきたいと言われた。

 数十年にもわたる教員生活と大地に培われた先生の御風格と真剣に謙虚に語られるその御言葉に我々は強い感銘を受けた。

安達 益之助 先生 那須道場 戸山高校在職 1937〜68



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