バルバロイ――辞書によれば“聞き苦しい言葉をしやべるもの”とある。先生の来られた時が昨年の五月末、ちようどギリシャ史をやったばかりで、この言葉が頭にあった二年生が先生のあのちょっと早口な英語を聞き、名付けて以来バルバロイは急激に広まったようだ。でも先生は全然御存知なかったというからまさにオドロキ。
「司法官をしていた父が西洋人の家に私をやって六年間ばかり一緒に暮らさせましたがそれが影響しているのかもしれませんね。でもそんな名前を知るとどうしても意識して演技してしまう恐れがあるんです。」と言われるのだが………
お生まれは愛媛県今治、のち熊本、福岡と転々され上京、五中(現小石川高校)、高等師範から教育大に進まれた。五中時代には一高へ進もうと猛勉強をされたという。また戦時中のことでもあり死について色々と考えられた。“死にたくはないがどうせ死ぬんだろう”と覚悟をきめられ多くの哲学書を読まれた。教師になろうと決心したのは大学に入ってからのことで、出世欲はあうがえらくなれそうにもないのと人を押しのけても政治運動をやる柄ではない、それに先生になっても悪くはないという気持がわずかながらあったからなのだそうだ。
昨年五月までは玉川高校、現在は両国高校定時制と二本立てをとられている。玉川時代には傍若無人にあばれまわり生徒と一緒に校長からおこられることもあったという。今の先生からは想像も出来ないが戸山にこられてからは立派な先生も多いことだし、無理に親しくしようとなどせず、いわゆる先生と生徒の関係だけでよいと考えて“ひょうひょう”としておられるのだそうだ。気が合う人間がいればそれこそ天の恵みだとおっしやる。それに自分の言ったことが生徒に理解されず、かえって誤解を生じるのを恐れるからおとなしくなったのだろうとも言われる。
先生は「年とってからは」を連発されるが実際は三十を越したばかりの独身、五月頃御結婚の由、学園祭、運動会で騒いだ女生徒よ残念でした。もっとも活動的な玉川から何でも悟りきったような戸山にこられたのでは気分的に“年とった”と思われるのも無理ないことかもしれない。
趣味はカメラ、これは単に記録だけだが玉川時代には女生徒ばかりとって注意された。スポーツはマラソンだけだから、運動ができる人の明るい態度をうらやましく思われるそうだ。
先生の読書に対する態度はかわっていて、なぜ英語を読むかというと日本語ばかり読んでいてはあまり能力がない方だから他の日本語ばかり読んでいる人の読書量に劣るだろう、それならば英語をやって大学時代専攻した「社会学」の翻訳でもやった方がよいと思われるからだという。ヘッセやフランス映画がお好きというからなかなか話せる。
「ここの生徒は他校にくらべて非常に自主的ですね。それに肌ざわりが良いというのか複雑でなかなか地金を出さない。教師に反抗しても無駄だと思ったらすぐ手を引いてしまう、ある意味で利口なのでしよう。私は、君たちを冷血なものとしてみるようにしているんです。君たちが見せるところはほんの一部分で、なかなかすべてはわからないものですね。」
考え考えゆっくりと話され、質問するたびにニヤリとされるのが印象的だった。 (玩)
松尾音治郎先生 英語講師 戸山高校在職 1959〜60