先生列伝(54) 森川先生 戸山高校新聞 第77号 1960年3月24日
 「戸山は教師にとつては天国だね」


1959年卒業アルバム

1960年発行先生列伝小冊子

 ぼくたちまでまきぞえにして心配させた、先生の奥さんは手術後の経過も良好、現在快方に向っているとのこと、まずはご安心。

 授業には来るのが早い、だから休み時間に弁当を食べると怒る。理由は簡単、パン食。したがって終わるのはもっと早い、そのあと廊下で抜くとなるといきおい走ることになる。そこでいわく、「廊下を走るな」。もつともです。みなパンのため。

 神奈川県座間の産、因縁とは恐ろしいもの、中高時代の先輩には中村、高木の両先生、さらに高木先生のお父上に師事されたとか。家の勧めで東大の医学部にはいったが、“自分の好きなこと”と中退して文科に進んで、今は六度目の一年生で博士課程、学校生活はよくまあ飽きずに二十年。三十一年にご結婚された奥さんは肺結核で一月に手術。このへんのことは授業中に耳を痛めたこと。牛込三中で半年教えてから三十二年本校に来られた。戸山に来ている三中時代の教え子に会ったときは少なからず驚いたとか。

 「戸山は教師にとっては天国だね」生徒は教えやすいし、職員室も生徒間のふんいきなども他校にくらべると格段の差で戸山で教えるとほかの学校に行って教える気になれない、と。ただし、欠点としは、“自分の身の回りの始末”ができない。生徒委員会の流会、全校集会の集合状態など、もってのほかと言われる。

 設備は校舎と運動場との境に森を、少なくともある程度の隔たりをと。しかしストーブには大反対、「ストーブなしだってちゃんと、このとおりりっぱな人間ができる」。

 学生時代は文字どおり万能選手で野球、陸上、柔道??となんでもござれ、特に体操は昭和二十三年、高校一年のとき九州で開いた国体に出場。

 趣味としてはおもに和趣味で自称低俗趣味。映画は一回ぐらいそれもおつきあいでだが、歌舞伎や剣劇にはよく行かれる。絵を描いたり日曜には庭の手入れをしたりたまにはつりざおを手にされることもある。

 いっしょに犬一匹と十姉妹五羽がいる。この犬は強い名前をと五郎(曽我五郎)としようとしたが、恩師が自分の犬につけてしまったので、それでは西洋の強そうな名前をと“ネロ”。

 現在はほかに家庭教師をされているが、できるなら専門の研究をもっとしたいそう。専門は俳かい、特によいと思った本として“郷愁の詩人与謝無村”(萩原井泉水)。

 お宅は石神井の三宝寺池のそばで、専任の教師ではないがたまには遊びにとのこと。(理)

森川昭先生 国語講師 戸山高校在職 1957〜61



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