池袋から東上線に乗りかえ約一時間かかって先生の書いて下さった地図を何度も見ながら記者は先生のお宅に着いた。
最近引っ越してこられたそうですばらしくモダンできれいなお家。御家族は若くて背のすらりと高い恋愛結婚だという奥様と三つになる坊やの三人。去年の四月この坊やがひん死の重傷をおった。さぞかし御苦労なさったのだろうが今では坊やも元気に遊んでいて暗いかげはみじんも見えない。家族の雰囲気がとても明るい。
生れは兵庫県、それ以後、御父上の仕事の関係上あちこちと転々としたが小中学生時代は名古屋で過ごした。学校へ上がる前は非常に体が弱く、大事に大事に育てられてまったく外の空気にはふれなかった。それで一般に子供達がやる竹馬、こまなどの遊びが全然出来なかった。ただ一つ出来たことは“ろくぼく”からかさを広げて飛び降りること。その反動のためか小学校時代は非常にわんぱくだったそうだ。
高校は武蔵高校、大学は東大。これについてはこんなエピソードが残っている。
東大の入試の前には、全々勉強しないで、そのころ問題になっていた教育問題に関してビラはりをしていたというからすごい。趣味はとうかがうと、あっさり「ありませんね」と答えられた。美学を専門としておられるので読書や音楽は商売になってしまう。スポーツにしても映画にしてもよく知っているが夢中になるということはない。「あまり熱中しすぎないように自分を抑制してしまうから」とおっしゃる。お話をしていても一つの問題に関していいかげんでやめるということがない。時々「わかりますね」と念をおす授業中のくせが出る。
男女の間が非常にオープンでないとは先生が戸山で感じられたこと。一緒に机を並べて勉強しているのにまるで修道院のように過ごしているのはまったくもったいない。もっと気持を広く持って恋愛だのなんだのと言う言葉にとらわれないで明るくつきあえばよいとおっしゃる。最後に先生の人生観はとお聞きすると「人生観というものを持たないでどこまで正しく生きることが出来るかというのが僕の人生観だ」と答えられた。
学問は孤立してはいけない。大衆と共になければ結局発展しない。自分は半分は大衆であるが大学院なんかを出てしまったから半分は大衆ではない。それで自分は大衆と共に生きたい。大衆は人生観などという観念的なものは持っていない。はだに感じて生きている。先生もそういうふうに生きていきたいのだそうだ。
いい意味で先生らしくない先生だ。 (砂田)
祖父江 昭二 先生 国語講師 戸山高校在職 1960〜65