先生列伝(62)  藤田先生 戸山高校新聞 第98号 1963年6月19日
 「最良の状態で勉強を クラブ活動で自分に合った」


1964年卒業アルバム

1968年卒業アルバム

1968年卒業アルバム

 先生は昭和十八年に高等師範学校物理科を御卒業になり、その後茨城県立水海道中学(現県立水海道第一高校)に就任されたが折も折、太平洋戦争で動員となり、本土と中国とを往復され、昭和二十一年復員された。その間、人間のやれるぎりぎりの体験をなされたとか。復員されて改めて中国での殺伐さに比べて祖国の美しさに詠嘆されたそうである。その後も県立水海道第一高校で御教職につき、二十五年に都立武蔵高校に転任され、今年本校に転任された。

 「私が物理をやろうと思ったのは物理の合理性にひかれたからでしょうね。教わった先生の影響もありましょうが。教師を志したのは中学三年の時でしたかな。それで高等師範学校に入り教師になったんです。高師は授業料がなく、学資の面で楽だったからはいったんですね。もちろんそれだけが原因ではありませんが。」

 「勉強はベストコンディションのもとで行われることを理想とします。例えば電燈も少なく椅子も十分にない山奥の学校の生徒が都会の学校の生徒と同じことを勉強して都会の生徒と同等の効果を得ることができないということがこのことを裏づけています。彼らには良い環境が整備されていない、能率的ではないんですね。」

 「我慢ということですが、確かにどんなに寒くても暑くても机にかじりつくそのファイトは良いのですが、能率面では疑問ですね。あまり寒いと積極性がなくなるでしょう。それでは満足に勉強ができませんね。更に注意することは単なる我慢は本校でいう「きびしさ」ではないということです。どんな条件でもやってしまうがむしゃらではいけないということです。つまりある理想を持ち、その実現を可能にしようと苦しみに打ち勝って最後まで努力し続ける、そこにきびしさがあるのです。その過程で苦しみを喜びに変え、更に突き進んで行くこと、それを指すんですね。それをまちがえないで下さい。」

 「クラブ活動と勉強の関連性についてですが、クラブ活動では同好の士が相集い、語らう中に教室での学習活動では味わうことのできない面の良さが得られるので、高校生活にとって必要なものなのです。しかし勉強にマイナスになる様でしたらその方法に問題があると思います。やはり学習が主でクラブは従でなければなりません。すなわち高校クラブ活動には限界があるのです。各自、目的差、個人差があるので一概に言い切ることが難しいのですが、例えば運動をしても翌日の予習もできないほどやっては好ましくありませんね。一汗流し、さわやかな気分になり勉強に熱中できるというのが良いですね。音楽を奏で気分を整え、毎日の生活に潤いをつけるのも良く、また無線の勉強をしてその面の知識を広め深めるのも良いでしょう。いづれにしても高校生として自らを高め伸ばすのにプラスになるものでなければその人にとって好ましくはありませんね。」

 「戸山生は私の描いていた理想の高校生像により近づいた感じです。ただあなたがたに望むことは広く社会をみつめることですね」

藤田喜一先生 物理 戸山高校在職 1963〜83



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