先生列伝(65)小町谷先生 戸山高校新聞 第104号 1964年7月4日
 「形式は嫌い」


新聞104号


 「自分に一番ぴったりするもの納得のゆくものをやっていきたいですね形式は嫌いです」これが先生の考え方の根本を貫いているようだ。先生は一九三六年長野県生まれ。東大国文科を卒業され現在東大大学院在学中「もう二年もしたらおん出るつもり」だそうだ。「それからのご希望は?」「やっぱり教えることです自分が受けとめたこと。それから、どう掘り出すかということですね。」先生には教師という職業がどうしても一番しっくりくるようだ。「それでは……」授業中突然シャックリも止まるような声。生徒一同ア然とした顔を知ってか知らないでか、先生の言葉は続く。だれかがこれを評して「破れるような声」だと言った。だが、何と言っても戸山の悪童どもが少なからず気にしているのは、ずっしり重い頭脳を収めて秀でた先生の額だろう。

 先生の趣味は、映画鑑賞、旅、古本屋を歩くことから始まって細かい文字を集めること、はては喫茶店でお茶を飲むことetc. また最近パイプタバコをはじめられたという。この「映画鑑賞」はストーリーを追うのでなく監督に目をつけるというところがいかにも先生らしい。「みんなは、自分はこの方面のことでは他人の介入を許さないというものを持っていてもいいんじゃないかな」とアドバイスされる。「抽象的発想より、事実から発想すること。問題の切り出し方は素材でなく、人間の目である。それから、自分のことばで語ることが必要ですね。問題が遠くなりそうだったら違うことばでどんどん言いかえることです」まさに「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ(ことばは似せ難いが意味はまねしやすい)」といったところだろうか。「ひとりひとりのスタイルが大切」だと言われる先生は、戸山生を「確かに『いい子』であるには違いない。それも必要なことだが、とらわれすぎる」と評された。

 ある日の国語の授業で先生は言われた。「ストーム(学生の一団が夜、友人の所に押しかけて騒ぐこと)……ばかばかしい幼稚なことだ。だがその中にわれわれはエネルギーを認める。何かの中に感激を見い出すことは必要だ」新しい個性とともに、一面では昔の学生のあの一種特有な豪快さに似たものを漂わせる。「博士を学界の名産と心得るのは、くらげを田子の浦の名産と考えるようなものだ」と豪語するような連中がモソッと集まっている世界を思わせる。考えれば考えるほど「無精なかっこうをして大学へ通う」というスタイルが先生には一番ぴったりするように思われてくる。「忙しい中できれぎれの時間の中で身につけたもの、それがホンモノの勉強です。暇な中でゆっくりとなどというのは趣味とか教養とかいうアクセサリーに過ぎません」とは先生の勉強論である。

小町谷照彦先生 国語講師 戸山高校在職 1962〜65



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