先生列伝(66)中石 孝 先生 戸山高校新聞 第109号 1965年3月18日
「自称“内気”なアンチ教師」


1964年卒業アルバム

新聞109号

 先生に列伝登場をお願いに行った時、先生は「エーッ、オレが。困っちゃうな」と盛んに頭をかきながら言われたが、一見戸山の先生らしからぬ、恐れるに足らない?風ぼうである。つい最近、先生が出された短編集『夢を紡ぐ』のあのファンタジックな文章と、自称“内気”な教師、中石孝がどう結びつくか、と詮索する向きもあるとか。

 先生は昭和四年、瀬戸内海に面する香川県引田の産で、少年時代は野球キチガイだった。
 「例の三原事件の時などは床屋のラジオにかじりついたものです。野球をしていたおかげで教師になってからも、大会でホームランを打ったりして、いい思い出です。もっとも今はガタガタだけどね」と笑われた。大阪の天王寺中学を出てから上京し、早稲田高等学院から同大学国文科へ進まれた。学院時代は戦争のまっ最中で、先生曰く「カーキ色の青春」だった。故郷から大阪へ行く途中、汽車の中で終戦を迎えたそうだ。「いっさいの権威がくつがえったので何か妙な気持ちでしたね。大阪駅に着いて食べたイモアメのドロッとした味が今でも忘れられないです」。

 卒業後はすぐ教職につかれ、まず鹿児島県の坊津にある玉川学園分校に赴任された。二年間の思い出をあとに、再び東京へ戻り、区立中学から足立高校を経て、一昨年から本校で教鞭を執っておられる。時間中はニヤニヤしながら黙って生徒にいわせておき終わりに近づいた頃、先生の考えておられることを一気にしゃべってしまう。そして、生徒のいうことが先生の考えと一致した時にはニヤニヤがはげしくなる、これが教壇に立つ先生を見ている、ある観察者の弁だ。先生は「国語の授業はいろいろなジャンルがあって、とても難しい。自分でもこれでいいのかな、と思うこともあります」といわれる。

 ここで話は本題の『夢を紡ぐ』へ。いよいよ作家、中石孝登場と思いきや、「やっぱり君たちもか」といささかナサケない顔をされた、というのは、今度の発刊では今まで先生が書いてこられたものを一冊にまとめて読んでもらおう、というのが先生の本意だった。ところが、本が世に出るやいなや週刊誌上などで批評家たちが絶賛したために、一躍脚光を浴びる結果となり、先生の本意は裏切られたかっこうとなったのだ。戸山の女生徒が先生のサインをもらいにくる、という一幕もあり「まったく恐怖感を感じるよ」と苦笑いされた。

 「あの本では題名のように一体現在が現実なのか、それともほんとうは夢の中が現実なのか、といった夢と現実との亀裂を描きたかった」
 「僕の作品は太宰治とか川端康成とかいろんな作家の作品に似ているといわれるが、それだけ個性がないということかな。僕自身は梶井基次郎が好きですね」と、口をとがらせながら真剣に話してくださる先生の横顔からは、先ほどのテレた表情は消え、早稲田時代の文学青年を思い起こすような、若さと粘りが感じられた。

 最後に戸山生については「戸山生はとても論理的要求が強いが、その反面人間の本来持つテレとか羞恥心にメクラのようなところもあるのではないか。文学において、それらは不可欠なものです。こんなに歴史のある本校から文学者が生れないのはふしぎだが、そんな所にも関係あるのかな。また、知識欲が旺盛なのは結構だが、解説書を読んだだけで全部を知った気になる、といった傾向があると思います」

中石 孝 先生 国語 戸山高校在職 1963〜84


連絡・お問い合わせは城北会事務局へどうぞ。e-mail:johoku@toyamaob.org