先生列伝(76)平瀬 志富 先生 戸山高校新聞 第207号 1984年7月20日
「実験道具は手作り 学生時代は剣道に夢中」


1985年卒業アルバム

1987年卒業アルバム

「戸山生は、よく勉強することに関しては変わってないね。昔と変わって良い所は、女子が入ってきたからでもあるけれど、クラブや学園祭が活発だということ。悪い所は、けじめがないことかな。遅刻をする人が多いとか。体育のあと、授業が始っているのにだらだらと遅れてくることは昔はなかったね」

 戸山の今昔を冷静に見つめていらっしゃる平瀬先生は、一九一八年、十一月一日、長野市内でお生まれになりました。長野の自然に囲まれて過ごされた先生は「野尻湖のほとりでキャンプをしたり、山に登って『きのこ』を取ったりしたよ。冬にはスキーもしたなあ」と懐かしそうに少年時代を語っておられました。

 長野から東京へ上京してこられた先生は、師範学校を経て、物理大(現理科大)物理学科へ入学と文字通り物理の道を歩み、昭和二十一年より三十八年間、本校で教職についておられます。「僕は少年時代から理科が好きで、将来は物理の先生になると決意していたんだ」と語る先生。一年生のあるクラスには地学も教えていらっしゃるので、物理と地学のかね合いについてお聞きしたところ「大学時代の物理には地学的な要素もあって、ある程度は地学の知識もあった。ちょうど僕が戸山に来たときから地学が始ったのだが地学の教師がいなかった。そこで僕が地学も教えるようになったんだ。もちろん教える以上は改めて(地学を)猛勉強したけどね」とおっしゃっていました。

 授業を受けている人には分ると思いますが、物理では先生が見せてくださる実験が多く、しかもユニークなものばかりです。そう思える理由には実験道具が「手作り」ということが関係しているのではないでしょうか。先生の話では「戸山は戦争や火災で校舎が全焼したことがあり、ほとんどの道具が灰になってしまった。その後戸山では道具を自作するようになった」そうです。まさに手作り道具での実験は「戸山ならでは」と言えるでしょう。

 戸山生に望むことをお聞きしてみると「戸山生には能力がある。その能力を発揮すれば自分の『夢』はかなえられるのに。自覚をもって自分の能力を生かしてほしい」と青年時代、剣道に熱中なさっていた先生らしいお言葉が返ってきました。(ちなみに三段だそうです)

 お話の途中に「昔買った物でこれは役に立っている」と手に取られた二メートルの黒ずんだ竹定規に、平瀬先生の教師生活の重みが感じられました。

平瀬 志富 先生 物理 戸山高校在職 1946〜85



連絡・お問い合わせは城北会事務局へどうぞ。e-mail:johoku@toyamaob.org