先生列伝(84) 渡辺先生 戸山高校新聞 第218号 1986年9月19日
 「ハードルと共に翔んだ青春
         陸上競技は見果てぬ夢」


1970年卒業アルバム

1984年卒業アルバム

1986年卒業アルバム

 今回は、我が校に来られて十九年目になる“くま”こと体育科の渡辺勇夫先生にお話を伺ってみました。

  昭和五年に新潟でお生まれになった先生は、学生時代を戦前・戦中・戦後といった激動の時代の中で過ごされました。そんな先生の少年時代は、まさに“陸上一直線”。小学校五年生の時に百Mで郡の大会に入賞したのをきっかけに、旧姓中学でも陸上を続け、なんと中学五年生の時のハードルでは全国でナンバーワンだったそうです。「中学三年生の時に終戦を迎えて将来に不安を感じたが、そんなすさんだ心を救ったのがスポーツだったね」。大会で賞を獲得されたときの先生の写真を拝見しましたが、脚が細くて長いこと!顔はどことなく現在の面影がありました。

 旧姓中学を卒業後上京され現在の筑波大学の前身となった専門学校に入学、体育科で陸上を専攻されました。その時には漠然と将来は陸上に関する仕事に就くことを考えていたそうで、先輩のすすめもあって教師になられました。

 ところで、渡辺先生は体育の教師の他に全国高等学校体育連盟陸上競技部の事務長としても知られておられます。インターハイに出場する選手の面倒や、加盟校四千六百校登録選手十二万名をまとめる仕事が主で「色々な人に会う事ができ、それに学校外のことにたずさわっているためか視野が広がる。この仕事の為に授業を欠席する時もあるが、学校外の情報を生徒に話すことで私のいない分を還元しようといつも心掛けている。私の話が、これからの彼らの生活に参考になれば良いのだが」と語られました。

 また、戸山生については「高校は創造教育であり、自分から積極的に何かを学ぼうとする姿勢が必要だが、その面では少し遠慮がちのようだな。それに、いつも楽をしようと考えている。そんなことをして世渡りをするのは無理だということに、早く気づいてほしい」とおっしゃっていました。「でも、命令口調でそのことを言っても、生徒に反感を買うだけなので、本人が気づくまで待っています。非常にじれったいけれどね」。

 休日には何をして過ごすのですかと尋ねると、先生は休みのないスケジュール帳を見せてくださいました。今年の夏休みも一週間だけで、それも年々減っているのだそうです。

 ますます多忙な先生ですが、最後に将来していきたい事について先生いはく、「陸上競技とともに一生を終えることが、強いていえば夢ですかなあ」。
                           (ゑひもせす)
渡辺勇夫先生 保健体育 戸山高校在職 1968 〜91



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