先生列伝(87)大成先生 戸山高校新聞 第224号 1987年10月28日
  「物理一筋の人生  根っからの学者タイプ」


1970年卒業アルバム

1989年卒業アルバム

1988年卒業アルバム

 ひさしぶりの先生列伝ですが、今回は本校に赴任してもうすぐ二十年という古株の大成山城先生にお願いしました。

 大成先生は昭和六年生れのいわゆる「昭和一ケタ代」。生地は埼玉で、その頃先生の家の周りは、田んぼと畑に囲まれた、のどかな田園地帯だったそうです。特に夜の静けさと遠くから聞こえてくる電車が鮮明に心に残っているらしく、幾度も話されました。

 さて、このようなのんびりした環境の中、小学生の頃は割と活発でガキ大将だったそうです。「でも四年の時先生に叱られてね。それからおとなしくなった」。その頃夢中になっていた遊びはベーゴマで、自分の持っているベーゴマを取られるのが嫌なので、いつも二人のお兄さんとベーゴマをしていらしたとか。

 中学校は親に勧められたことと、お兄さんが通っていた事が理由で市立大宮工業学校に入学されました。当時は戦争も終わりに近く、一年生だった先生も学徒動員のため近くの造兵廠に駆り出されたそうです。そして二年生の八月、終戦を迎えられましたが「勝つ、と教えられてきたからね、終わったっていうのはどういうことだろうと思った。天皇の玉音放送の後、(軍事教練で学校に来ていた)配属将校が涙声で何か言っているのを聞くとどうも敗けたらしい」と、余り実感はわかなかったようです。しかし、敗戦の混乱した社会の中で、これからどうなるんだろうと、自分の将来の事を考えている余裕はなかったそうです。

 高校はそのまま大宮工業高校に進学され、卒業後は出身小学校に代用教員として二年間勤められました。しかし物理の勉強をするために勤めを辞めて埼玉大学へ入学し、さらに教育大の大学院で修士課程を修められたそうです。その頃から今に至るまでずっと物理を「趣味で」続けられているそうですが、どこにその魅力があるのですかと尋ねると「ごまかしがなくすっきりしていて、一定の結論に対し誰もが納得せざるを得ないところ」。難しい問題を解いた時は何とも言えずうれしいとお答えになりました。

 大学院を卒業して「なんとなく」教員になられたそうですが、生徒は教師を選べないのだから、いいかげんにごまかす授業は絶対にしないよういつも心がけておられるそうです。

 最後に、戸山生の印象をお聞きすると、「昔は的はずれでも自分の考えを持った生徒が多くて骨が折れた。今は無抵抗というか、他との摩擦を嫌うよね。表面を取り繕って裏で何考えているかわからない。利口になったというか、処世術を身につけたというか、今からそんなんでいいのかねえ」となかなか鋭く我々を見つめていらっしゃいます。さらに、「どんな事にでも打ち込んでやれば手応えのあるものがはね返ってくる。今、君達には、片手間でなく物事に打ち込む姿勢が欲しい」とおっしゃられました。

 物理に生きがいを見つけ、それ一筋に素朴に生きてこられた先生の「物理は生きていく支え」との言葉が取材をしてとても印象的でした。
                        (なまさんま)

大成山城先生 数学 戸山高校在職 1969〜92



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