先生列伝(93)田原先生 戸山高校新聞 第235号 1989年12月25日
 「物理に情熱を傾けて  ――田原輝夫先生の巻―― 」


1986年卒業アルバム

1990年卒業アルバム

1989年卒業アルバム

 今回は、本校にいらして四年目、物理と地学を担当していらっしゃる田原先生にお話を伺ってみた。
 先生がお生まれになったのは荒川区の町屋という所。「小さいけれど歴史のある、地味な感じの下町」だそうだ。小さい頃は「ガキ大将なんてとんでもないような、ボーッとした呑気な感じ」で通知表には必ず「おっとりしている」などと書かれたとか。そんな田原先生が小学校に入ってとても楽しく感じたのが理科の実験だったそうだ。「担任の先生が実験をまめにやってくれるからね。理科が好きになったのもそのせいだね」と語られ、良い思い出のようだ。
 高校になると理科は分野別に分かれる。先生は高校時代、唯物論や科学文明論に凝っておられた。その「物質、物体は自然の基本法則の中で動いている」という思想を受けたそうだ。その「基本法則」に関係し、科学の基本とも言えるのが物理だとお考えになり、物理に魅かれたという。大学や職業の選択の際も、物理の勉強、追求ができるということが第一条件だったそうだ。そんな訳で、田原先生は小学校時代の先生への憧れもあったため、結局教師の道を選び歩みだされた。
 しかし、今から七年程前に突然結核にかかってしまい入院。お気の毒と思いきや、その病院で奥様と出会われたのだ。健康だと思っていた自分も結核にかかってしまったということで「人は誰でもどこかに欠点を持っている。だから、お互い悩みを共有し、助け合って生きていくものではないか」とお考えになっていた。そして先生は奥様に対し「この人を守ってあげたい」という気持をもたれたそうだ。田原先生の奥様への愛情は大変なものだ。なんでも婚約後、奥様の病気が再発し、一時命が危なくなられたそうだが、当時大島に単身赴任しておられた先生は、心配して毎週のように飛行機で会いに帰られたとか。そして「家内は自分にとってかけがえのない人だ」と照れながらも断言なされた。また最近二人目のお子様がお生まれになった田原先生。「子供ってのは悲しいくらい自分に似るもんで、自分の負い目なんかはやっぱり子供にも感じるんだよね。どんな事でもいいから関わりあって、一緒に成長していきたいね」と語られた。
 田原先生の授業は、とても穏やかで明るい雰囲気がある。ところどころに笑いを取り入れたりなさるせいもあるが、先生自身が楽しそうに授業をなさるのが何よりの理由だろう。このように理科好きな先生。その素顔を、今回の取材で見ることができた。                  (ちゃっくん)

田原輝夫先生 物理 戸山高校在職 1985〜97



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